湊神社とは? わかりやすく解説

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湊神社

読み方:ミナトジンジャ(minatojinja)

別名 みなとさま

教団 神社本庁

所在 静岡県浜名郡新居町

祭神 建速須佐之男命


湊神社

読み方:ミナトジンジャ(minatojinja)

教団 神社本庁

所在 兵庫県姫路市

祭神 素盞嗚尊 ほか


湊神社

読み方:ミナトジンジャ(minatojinja)

教団 神社本庁

所在 鳥取県東伯郡羽合町

祭神 速秋津彦命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

湊神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/19 06:17 UTC 版)

川口神社 (亘理町)」の記事における「湊神社」の解説

川口神社の北2.3キロにある高須賀地区には湊神社が鎮座している。本殿亘理町指定文化財祭神大海津見神である。創建弘和3年/永徳3年1383年)。鎮座地である高須賀地区阿武隈川の旧河口にあたる。太平洋から押し寄せる波と川からの土砂流れ変化しやすく、浅瀬多くできているため、船の出入りが困難で、遭難事故多かったという。そこで、弘和3年/永徳3年1383年3月10日亘理行胤が河口の安全を祈願して建立したと伝わる。明治5年1872年11月村社指定されたが、明治42年1909年3月23日川口神社へと合祀させられた。 神体背中乗る金色十一面観音像であると伝わる。この観音像には以下の伝説がある。 ある年の大水の時、観音像阿武隈川上流のどこかから流れてきた。海に流れ出ようとしているこの観音像が見つけ、多く協力して、この観音像陸地押し上げた。 嵐で海に流され漁師助けられたと云われ、その恩に報いるために村民は「乗る十一面観音像」を神体として湊神社を建立した高須賀地区人々は、肉を原料とするかまぼこ等の練り物食べなかったという。 社殿江戸時代末期のもので一間社流造前面側面高欄設ける。向拝社殿側面蟇股みられる江戸時代末期彫刻見事なことから、昭和57年1982年5月亘理町指定文化財となった高須賀地区の湊神社の対岸岩沼市寺島地区瀬崎には、住吉三神一柱である表筒男神祀る湊神社(宝貴明神)が阿武隈川を挟むかのように鎮座している。 岩沼市寺島地区の湊神社境内左側土手阿武隈川になる 湊神社社殿別名『宝貴明神』

※この「湊神社」の解説は、「川口神社 (亘理町)」の解説の一部です。
「湊神社」を含む「川口神社 (亘理町)」の記事については、「川口神社 (亘理町)」の概要を参照ください。

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