名前の由来と関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 02:12 UTC 版)
最初に猿田彦大神を勧請したという、陸奥の人佐那の名に由来するとされる。民俗学的解釈では、佐那はさなぎ(鐸、類聚名義抄による)で製鉄との関連を意味し、奥州の金売によって製鉄技術が伝えられたことを示唆するという。また、白山信仰との関連から、佐那武が祭神の猿田彦を指すという説もある(後述)。また、佐那は佐良嶽という地名に由来するという説もある。佐良嶽とは、現在の金沢市金石町あたり、犀川河口南岸にあったとされる砂丘地である。大野湊神社はこの佐良嶽の麓、大野湊に元々鎮座していたが、度重なる嵐や大波で砂丘地が削られ、神社は海中へ没したといわれる。佐良嶽の名も近世には既に失われてしまった。鎌倉期成立といわれる平家物語に、越中前司平盛俊が宮腰(みやのこし)の佐良嶽に陣を敷いたとの記述がある。大日本史巻二百三十列伝百五十七の源義仲に、源平盛衰記および平家物語によるとして、以下の記述がある。 維盛僅免、収散卒加賀、保宮腰佐良嶽、源行家率所部兵向志雄山、軍不利、義仲聞之自率騎四萬赴之、敵将平盛俊聞維盛敗、奔于佐良嶽、義仲遂北至加賀、・・・
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