石川郡誌における記載
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 20:03 UTC 版)
石川郡誌(明治44年)の上金石の項に以下の記載がある。 …是地古は佐良嶽佐那武明神(大野湊神社)鎮座地の麓なるに由り里俗に宮腰と唱え深見の本名はついに廃絶せしかど「三宮古記」に宮腰と見ゆ安政三年宮腰町と称し町奉行の支配するところなり又駅馬九十六匹を置けり是地は相隣すると雖も軋轢日久し因りて慶應二年両地の間に相生町をつくり之を合して金石町と称ふ…宮腰既見有干盛衰記義経記等、此地名経七百余年来瞭然(「三宮古記考」)宮腰金石町の旧名なり古は大野郷に属するを以って大野湊と号し湊神社ありその社傍の海駅なれば宮腰とは名つけけん古渤海国の交通ありしとき便船此を出入の門戸とす(「地名辞書」)
※この「石川郡誌における記載」の解説は、「宮腰」の解説の一部です。
「石川郡誌における記載」を含む「宮腰」の記事については、「宮腰」の概要を参照ください。
- 石川郡誌における記載のページへのリンク