石川郎女・内命婦に関する万葉歌
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「石川内命婦」の記事における「石川郎女・内命婦に関する万葉歌」の解説
以下の5首は久米禅師との間の歌である。 久米禅師、石川郎女を娉(つまど)ふ時の歌五首美薦(みこも)苅る信濃の真弓吾が引かば 貴人(うまひと)さびて否と言はむかも(禅師) [巻2-95] 美薦苅る信濃の真弓引かずして 弦著(をは)くる行事(わざ)を知ると言はなくに(郎女) [巻2-96] 梓弓引かばまにまに寄らめども 後の心を知りかてぬかも(郎女) [巻2-97] 梓弓弓弦(つらを)取り佩け引く人は 後の心を知る人ぞ引く(禅師) [巻2-98] 東人(あづまと)の荷前(のさき)の箱の荷の緒にも 妹が心に乗りにけるかも(禅師) [巻2-99] 下の4首は、大津皇子との相聞歌、また草壁皇子が郎女に贈った歌である。とくに109番歌題詞に「窃に」とあり、この言葉が密通を示す語であること(川口常孝など)から、郎女は草壁の妻妾であり、それと大津が関係をもった、三角関係の歌群であると考えられている。 大津皇子、石川郎女に贈る御歌一首あしひきの山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしづくに [巻2-107] 石川女郎、和(こた)へ奉(まつ)る歌吾を待つと君が濡れけむあしひきの 山のしづくにならましものを [巻2-108] 大津皇子の窃に石川女郎を婚きし時に、津守連通その事を占ひ露はせるに、皇子の御作りたまひし歌。大船の津守の占に告らむとは まさしく知りて我が二人寝し [巻2-109] 日並皇子尊の、石川女郎に贈り賜ひし御歌一首大名児 彼方野辺に刈る草の 束の間も我れ忘れめや [巻2-110] 老境に入り石川内命婦と呼ばれるようになったあと、水主内親王が病を得たとき、元正天皇の命を受けて彼女のために詠んだ歌が以下である。 冬の日、靱負の御井に幸(いでまし)し時、内命婦 石川朝臣 諱曰邑婆 詔を応はりて雪を賦(よ)める歌一首松が枝の地につくまで降る雪を 見ずてや妹が籠もりをるらむ [巻20-4439]
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