嘉手納飛行場統合案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 05:23 UTC 版)
「普天間基地移設問題」の記事における「嘉手納飛行場統合案」の解説
嘉手納弾薬庫地区の次に浮上したのが、嘉手納飛行場への統合案であった。 日本側の検討 日本側から眺めると、本案は次のような経緯を辿って棄却された。後年守屋昌武などが内情に触れつつ概要を明かしている。県内での移設先を検討するに当って、政治的問題として、大田昌秀知事・吉元政矩副知事の連携で県内の自治体首長が次々と革新系に交代し、県南で保守が維持している自治体が嘉手納町と浦添市だけであったということがあった。このため、県内の政治的事情を考えれば、橋本政権内では合意に困難が予想される「新設」は選択肢から消えていた。大田県政は基地返還のアクションプログラムという計画を独自に作成しており、その中でも嘉手納は2015年までに撤去したい旨を記していたが、基地としては最後まで残ることになっていた。そのため、政府は嘉手納への統合案を検討するに至る。 しかし、嘉手納統合案には技術的な問題点として、ヘリと固定翼機の共同運用の問題があった。一方、当時、橋本は総理大臣としては初めて自衛隊の制服組のトップを官邸に招いて定期的に話を聞く機会を設けており、当時の統合幕僚会議議長は航空自衛隊の戦闘機パイロット出身である杉山蕃だった。橋本は共同運用の可能性について検討するように杉山に指示し、陸自のヘリパイロット、空自の戦闘機パイロット、飛行場管制官が集められ検討に入り、出した結論は「共同運用は可能」だった アメリカ側の検討 しかし、アメリカ軍は下記の3点の理由から上記の日本側の結論に反対した。 低速のヘリと高速の戦闘機を管制官が同時に管制するのは負担が大きい 移設が実行されれば平時でもヘリ、戦闘機が各々60~70機ずつ訓練を行う飛行場となる。有事には増援などにより2~3倍の機体が集結すると考えられ、それを嘉手納一ヵ所で賄う事は不可能。 嘉手納は当時から騒音が問題視されており、P-3Cの駐機場を移転したり、防音壁を設置したりしていた。普天間の機体を収用すれば嘉手納、北谷両町にとっては更に劣悪な環境となる。 なお、アメリカ側の具体的検討の一部は後年日本でも報じられており、そこからも当時のアメリカ軍の考え方や背景を知ることが出来る。1996年7月、在日米軍作戦部(J3)は嘉手納統合案の研究に絡めて、普天間の固定翼機を含めた基地機能の移設を目標に据えた技術評価を実施している。作業は4軍から操縦士と技術者を集めて実施した。琉球新報は2009年になってこの技術評価を入手している。それによれば嘉手納統合に代わる移設候補地は下記のようになっていた。 嘉手納弾薬庫地区(新設) キャンプ・シュワブ(新設) 伊江島への移転(既設) 県外自衛隊基地への移転(既設) 現状の基地能力については次のように評価されている。 普天間:平時71機。戦時最大230機。 嘉手納:平時108~113機。戦時最大390機。 候補地に期待する許容飛行回数は、下記のようになっている。 夜間飛行(18時~6時)回数:55%増 全飛行回数:35%増 候補地の評価基準は下記の5項目となっていた。 滑走路:約1600m 駐機場:約28ha 格納庫・整備施設 事故、火災等の救難装備 民間機やほかの軍用機からの安全性確保 結果、県外の自衛隊基地が移設先として最高得点を得、キャンプシュワブや伊江島は戦闘機の発着が出来ないため評価にはマイナスに響いたと言う。嘉手納弾薬庫は滑走路長以外の条件を満たさなかった。なお、嘉手納統合案については海兵隊は移転可能との意見を出したが、嘉手納に駐留する空軍の第18航空団は否定的意見だった。 後年、滑走に距離を要する固定翼機部隊は岩国などへの移転が決まった。また、基地の位置については琉球新報は触れていないが、この後、それを有力な理由として、後述していくように県外移設は(軍事的評価としては)何度も否定的見解に晒されていくことになる。
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