嘉手納製糖工場サトウキビ運搬軌道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 23:17 UTC 版)
「嘉手納駅」の記事における「嘉手納製糖工場サトウキビ運搬軌道」の解説
停車場・行き先・施設凡例 主な軌道のみ記載。は停車場ではなく地域を表す。 県営鉄道 トロッコ軌道 宇座 座喜味 喜名 伊良皆/安慶名 宮里 比謝川:廻転橋/池原/美里看貫場 嘉手納製糖工場・停車場/嘉手納駅 上地 ↓那覇方面/山内 当駅および周辺のサトウキビ収穫地域と嘉手納製糖工場との間を、サトウキビやキビ製品を輸送するために敷設された軌道。当駅と製糖工場を結ぶ県営鉄道の線路と収穫地域と製糖工場を結ぶ馬力によるトロッコ軌道の線路により成り立っていた。トロッコ軌道は嘉手納線が開通する約10年前の1910年(明治43年)ごろに製糖工場建設のための機械運搬用として敷設され、工場完成後はサトウキビ搬入用として使用された。 従来製糖工場へのサトウキビ搬入はトロッコ軌道により工場付近の地域からのみであったが、嘉手納線の開通により搬入地域はかなり南下し浦添の内間地域からの搬入も可能となった。そのため内間から県営鉄道の線路を経由しての輸送が開始されたが、実際の搬入は大半がトロッコ軌道により行われていたようである。トロッコ軌道は北は現在の読谷村宇座、東は現在のうるま市安慶名などと結ばれており、特に安慶名へ向かう工場 - 美里看貫場間は多くの輸送量があり複線となっていた。 一方工場からの製品の搬出は、従来は前述の渡具知港などから那覇港へ船を使って輸送していたが、嘉手納線開通により天候による海難を心配する必要が無い鉄道による輸送がほぼ100%を占めるまでとなり、工場から県営鉄道の線路により、当駅を経由してそのまま那覇方面へ輸送が可能となった。また、古波蔵駅近くにあったアルコール工場への糖蜜の輸送も県営鉄道を経由して行われていた。 製糖工場への運搬軌道は嘉手納製糖工場だけではなく、西原製糖工場、宜野湾製糖工場、高嶺製糖工場にも敷設されていたが、嘉手納のものは最大の規模を持っていた。嘉手納線が開通する6年前の1917年(大正6年)には台車数は1,000台を超え、軌道総延長も80kmに達していた。県営鉄道が30年の間に使用した車両は旅貨合計で103両であり、また総延長は4路線合わせて約48kmであったことから、トロッコ軌道はかなりの規模であったことが分かる。 なお、これらの運搬軌道は製糖期間中以外に使用することが無かったが、これらを旅客用として営業を行ったのが西原製糖工場のサトウキビ運搬軌道であり、与那原 - 泡瀬間を旅客運送を主目的とした軌道会社である沖縄軌道により運行されていた。詳細は沖縄軌道を参照。
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