嘉数戦の結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 05:18 UTC 版)
嘉数戦では日本軍は10倍以上もの敵に対して持ちこたえ、結果的に大きな損害を与えることに成功した。嘉数戦の影響で第32軍の直轄部隊(在:首里)に少なからず被害が出ると予想されていたが、この予想に反して嘉数陣地のみでの防衛戦でアメリカ軍の進撃速度の遅滞に成功し、第32軍の直轄部隊には被害が出なかったことに、日本軍首脳部が驚いたという。この戦いで時間が稼げたため、後方の日本軍部隊は陣地の再構築や情報網整備、武器弾薬の搬入などを行って、より強固な陣地を構築することが出来た。また日本軍は嘉数戦での守備戦闘の経験をこの後も生かし、アメリカ軍をさらに苦しめることとなる。なお後の戦いでも嘉数戦に参加した第62師団の奮戦が目立っている。これに対してアメリカ軍は、嘉数の戦闘(塹壕及び洞窟陣地からの反撃)で懲りたことから、これ以降は火炎放射器を多数投入して洞窟陣地を焼き払うという、いわゆる「馬乗り戦法」を採用する。 嘉数戦では日本軍の戦死傷者は合わせて64,000人に上った。このことから嘉数戦を事実上の決戦地とする意見がある。つまり嘉数戦に負けたことで日本軍の沖縄戦における敗北が決定的になったという意見である。沖縄戦に投入された日本軍の総兵力は約100,000人であるから、その半数あまりが嘉数で損害を受けたことになる、というのがその論拠である。ただし、64,000には軽傷者が含まれているため、実際に戦闘不能となったものは20,000程ではないか、という意見もある。 また嘉数を決戦地とする意見のほかには シュガーローフの戦いが敗北を決定的にしたとする意見。 西原の戦いが敗北を決定的にしたとする意見。 首里撤退が敗北を決定的にしたとする意見 などが存在する。 戦後70年以上も経っていることからどれが事実上の決戦地であるかを確定することは難しくなっている。ましてや決戦地の説は当時の日米両軍の作戦計画にあったものではなく、現在から戦史を振り返った時に出たものであるから、決定的な結論は今後も出ないと思われる。
※この「嘉数戦の結果」の解説は、「嘉数の戦い」の解説の一部です。
「嘉数戦の結果」を含む「嘉数の戦い」の記事については、「嘉数の戦い」の概要を参照ください。
- 嘉数戦の結果のページへのリンク