呼称の経緯とは? わかりやすく解説

呼称の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 01:09 UTC 版)

ハイソカー」の記事における「呼称の経緯」の解説

1960年代中盤になると、それまで社用車公用車として利用されていた車種、あるいは運転手付き乗るものと考えられていた高級車景気の上に伴いこれまでのないしは暗めの外板色から白を代表とする明る色へ変わって中流家庭へも徐々に普及しはじめる。1967年昭和42年)にはトヨタ・クラウン3代目フルモデルチェンジし、「白いクラウン」のキャッチコピー個人需要開拓した翌年には「ハイオーナーカー」を謳った日産・ローレル登場し、この時広告用いた「ハイオーナーカー」という言葉が、後に上級小型乗用車トヨタ・マークII日産・スカイラインなど)全般を指す言葉として一般化した1980年代になり反体制運動ヒッピー文化一段落すると、人々都会的上昇的な暮らし求めようになった自動車それまでアメリカ車模倣ではない斬新なデザインと、排ガス規制乗り越えたエンジン期待されるようになった。そしてその先陣を切ったのが1980年発売日産・レパードであったレパードそれまで日本車とは一線を画す燃費計やフェンダーミラーワイパーといった先進技術搭載し人々耳目集めたが、エンジン6気筒旧態依然L型で、高い評価を得るには至らなかった。その翌年1981年トヨタは、レパード上の高級感デジタルメーターなどの先進装備に、2.8リットル直列6気筒DOHCという当時としては圧倒的なスペックエンジン盛り込んだソアラ発売当時排気量2リットル超える自動車には年間8万円という税金かかっていたが、それでも人々自動車業界の切り拓いていく未来をソアラ夢見て購入していく。従来車好きから退屈の象徴とされていたトヨタは、これをきっかけその評価覆し始めた遡って1980年昭和55年)にクレスタ発売していたトヨタは、1982年昭和57年)のマイナーチェンジ時に姉妹車マークII/チェイサー同様にツインカム24(1G-GEU)を設定トヨタが「スーパーホワイト」と名付けた白いボディカラー実際に初代ソアラ前期型初め導入された)のこの3車種爆発的に売れた。 白い高級車ブーム1984年昭和59年)に登場したGX71系マークII/チェイサー/クレスタ決定的なものとなり、この頃から1クラス上のトヨタ・クラウン日産・セドリックソアラなども含めた高級乗用車全体ブームへと発展する当時バブル景気もこのブーム後押しした自動車雑誌では「ハイオーナーカーブーム」と呼んでいたが、『ホリデーオート』(モーターマガジン社)がこれを「ハイソカーブーム」と名付けこの頃登場した多く高級乗用車を「ハイソカー」と呼ぶようになった。 「ハイソカーブーム」の時代は、オーナーカーとして爆発的に売れただけではなく多く車種フロントエンジン・リアドライブ (FR) だったことから、自動車教習所教習車小型タクシーとしても大量に投入されていた(特にマークII3兄弟ローレル)。 1991年平成3年)頃にバブル景気崩壊するハイソカー販売陰り見えようになったほか、このころから国際ラリー選手権日本人選手活躍するうになると、ブーム主体ハイソカーからオフロード車移行するようになり、ハイソカー人気凋落するようになった

※この「呼称の経緯」の解説は、「ハイソカー」の解説の一部です。
「呼称の経緯」を含む「ハイソカー」の記事については、「ハイソカー」の概要を参照ください。

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