呼称の定着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 05:03 UTC 版)
原子力村という言葉が用いられた例は1980年頃にはすでにあり、本来原子力に肯定的な業界誌の一つであった『原子力工業』が連載企画「“原子力村”に,議論よ,興れ!」にて、記事名と本文でこのネーミングを使用している例が見られる。ただし、この連載では立地政策や審査のあり方などについて反対派を招き、また当時の原子力発電所の耐震性などに否定的な者による寄稿といった、反対派から見た原子力村の意味合いに沿った記事もあるが、その一方で当時傍流、ないし開発が進展していなかった軽水炉以外のタイプの原子炉について取り上げたり、日本の原子力発電技術の海外展開について展望を述べる記事など、原子力発電を肯定する立場から見た政策面での反省としての性格を持った記事も含まれている(必ずしも安全性からの観点ばかりではなく、経済的観念も含まれている)。 その後、1990年代に論壇誌でも使用された例があるが、反対運動家以外では半ば死語と化していた。しかしながら、2011年3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故により、福島県、とりわけ浜通りを中心として大量の放射性物質が拡散され、浜通りの多くの住民が避難生活を強いられるに至ったことから、マスコミ一般でも批判的な意味合いを含ませて、広く使用例がみられるようになった。 原子力に肯定的な論者が全面否定の意味合いでこの言葉を使う例は少ないが、まったくないわけではない。批判者が使用する意味でこの言葉を受容した上で、反省を含めた意味で使用される例もある。例えば、武田邦彦は原子力を全否定する立場ではないが、「地震で倒れる原発はダメだ」というスタンスもあわせもっており、反対派が使用するような意味を込めて使用している。 また日本原子力研究所出身でヒューマンエラーの研究に従事してきた田辺文也の著書『まやかしの安全の国 ―原子力村からの告発』(2011年)のように、従来村人とされてきた者自身が、外部の批判者が指摘する意味でこの言葉を使用し、激しい内部批判を展開する例も見られる。 なお、原子力技術者から撤廃論者に転向した飯田哲也の命名という説もある。
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