呼称の転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 16:39 UTC 版)
幕藩政策は身分としての規定と共に差別政策も強めていった。その一つが呼称転換であり、「かわた」を「穢多」「長吏」と呼び変えている。 まず早期の例に慶長9年(1604年)の「肥後国託摩郡春竹村検地帳に「ゑった」と記されたのがある。 慶長19年(1614年)の大坂冬の陣の諸記録(「当代記」「駿府記」など)にも「ゑつた村」「えた村」がみられる。阿波藩では従来「かわやの者運上」と記されていたのが元和9年(1623年)には「えった役銀」と改められた。 寛永21年(1644年)の「河州丹北郡之内更池村家数人数万改帳」には「河田」とともに「穢多」の表記がみられる。
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