「姫街道」の呼称の定着とは? わかりやすく解説

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「姫街道」の呼称の定着

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:35 UTC 版)

本坂通」の記事における「「姫街道」の呼称の定着」の解説

安政元年1854年)の大地震の後には、浜名湖今切の渡し停止して東海道交通麻痺したため、大名も本坂道迂回し本坂越の交通量増加した。翌安政2年1855年)に山形県から母を伴って善光寺伊勢神宮参詣し全国各地半年かけて旅行した清河八郎は、旅日記西遊』の浜名郡三ケ日の項に、「此所秋葉山往来の宿にて、往来もややあり。且昨年よりして大名新井通らず、まま此処より上下するありとぞ。すべて御姫様海道名づけて、格別難儀にもあらざる道なり。」として、本坂越が「御姫様海道」と呼ばれており、40歳の母を連れた清河にとっても「特に大変な道でもなかった」と記している。 『浜松市史』第2巻は、安政3年1856年)の絵図では、浜松宿から三方原追分に至る道を「姫街道」、安間一里塚から市野を経て三方原追分に至る道を「市野道」と記していた、としているが、この絵図行方不明未確認とされている。 万延元年1860年)に五雲亭貞秀描いた東海道五十三次勝景』の中に東海道五十三次内浜順路姫街道木賀遠望」と題した浮世絵があり、同じ頃作成された「秋葉山参詣道程図」にも「姫様街道」と記載があることから、この頃には「姫街道」の呼称定着していたとみられている。

※この「「姫街道」の呼称の定着」の解説は、「本坂通」の解説の一部です。
「「姫街道」の呼称の定着」を含む「本坂通」の記事については、「本坂通」の概要を参照ください。

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