「姫街道鉄道」計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 22:55 UTC 版)
明治22年(1889年)7月までに、東海道線の東京‐神戸間が全線開通した。輸送・旅行はほとんど鉄道に依拠するようになり、道路としての東海道は長距離輸送に果していた役割を終えてローカルなものに変質、駅周辺に中心街が移っていった。 明治29年(1896年)には、「姫街道鉄道」の起業が計画され、浜松の官線停車場(現・東海道線浜松駅)から市野、有玉、小松、三方原、中川を通り、気賀、三ヶ日、宇利峠を越え、豊川に出て御油駅にいたる経路が予定されていたが、実現しなかった。 なお、昭和初期にも東三河地方の有力者により、和田辻〜気賀間で姫街道に沿う遠三鉄道の構想が立案されたが、これも経済不況の影響により着工に至らなかった。
※この「「姫街道鉄道」計画」の解説は、「姫街道」の解説の一部です。
「「姫街道鉄道」計画」を含む「姫街道」の記事については、「姫街道」の概要を参照ください。
- 「姫街道鉄道」計画のページへのリンク