取次 (歴史学)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/19 04:28 UTC 版)
取次(とりつぎ)は、両者の間を仲介して物事を伝えること、あるいはその仲介者を言う。
注釈
- ^ 元和年間(1615年-1624年)に原本が成立したと考えられている『甲陽軍鑑』では、武田勝頼は天正3年(1575年)の長篠の戦いにおいて、跡部勝資や長坂光堅ら側近の主戦論を支持し、宿老らによる非戦論を無視して決戦におよんだと記している。これは、実際に信玄没後の武田家にあって新興出頭人層と古参宿老層のあいだに対立関係があったことを背景にしている可能性が考えられる。丸島(2009)
- ^ 山本は、江戸幕府における老中制の本質もまた豊臣政権時代の「取次」と本質を同じくしていると指摘している。山本(1990)
- ^ 「取次」概念の曖昧性について、山本は、「取次」研究は必ずしも完成された制度の考察をめざすものではなく、豊臣政権の大名統制の実体を究明するものであると説明している。山本(2009)p.226
- ^ 山本は、信長・秀吉の政権が天下統一の過程で外交交渉の窓口として設けた「取次」が、秀吉の天下一統後は制度的な任務を帯びたものと理解すべきであると述べている。山本(2009)p.226
- ^ 「柳営勤役録」には、「御側向の御用を掌り、老中伺ひ等を取次伝達する所の職分なるよし」と記述されている。和田(1983)、339p
出典
- ^ 和田(1984年)、294p
- ^ 和田(1984年)、292p
- ^ a b 桜井(2009)p.149
- ^ 桜井(2009)p.152
- ^ a b c d e f 桜井(2009)pp.149-150
- ^ a b c d 高木「主君と出頭人」(1989)p.203
- ^ 山本(2009)pp.188-190
- ^ 『クロニック戦国全史』(1995)p.498
- ^ a b 高橋(1992)
- ^ 山本(2009)pp.208-209。原出典は津野倫明「豊臣政権の「取次」蜂須賀家政」(2001)
- ^ 山本(1990)
- ^ 山本(2009)pp.206-207、pp.208-226
- ^ 「御用人に関する一考察」柴山正、1994年(『名古屋女子大学紀要 人文・社会編40』)
- ^ 山本(1984)
- ^ 山本(1991)
- ^ 和田(1983)、339p
[続きの解説]
「取次 (歴史学)」の続きの解説一覧
- 1 取次 (歴史学)とは
- 2 取次 (歴史学)の概要
- 3 織田政権における取次
- 4 脚注
「取次 (歴史学)」の例文・使い方・用例・文例
- お待ちいたしますか、それとも伝言をお取次ぎいたしましょうか?
- 私は英語で電話の取次ぎが出来るようになりたい。
- 私は電話の取次ぎが出来るようになりたい。
- 広告(代理)会社, 広告代理[取次]店.
- 広告代理業者, 広告取次人.
- 玄関の番をする(取次に出る)
- 主人にご用なら私がお取次ぎ致します
- 広告取次(人)
- 取次販売
- 御側御用取次ぎという,江戸幕府の職務
- 御側御用取次ぎという,江戸幕府の職を務めた人
- 出版物を小売店や取次店に配達する
- 出版取次という,出版物の取り次ぎ業務
- 出版取次という,出版物の取り次ぎ業務を行う組織
- 外来者の取次をする係
- 双方の間に立って事の取次ぎに用いるもの
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