南西航空時代とは? わかりやすく解説

南西航空 (SWAL) 時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 06:12 UTC 版)

日本トランスオーシャン航空」の記事における「南西航空 (SWAL) 時代」の解説

1967年6月20日南西航空株式会社(略称 SWAL発足7月1日:CV-240 2機、ビーチH-18(ビーチクラフト) 1機の計3機で運航開始就航路線那覇 - 石垣線宮古線久米島線・南大東線、宮古 - 石垣線石垣 - 与那国線の6路線コールサインは「NANSEI(ナンセイ)」。那覇 - 石垣線などに以前就航していた航空会社エア・アメリカである。 12月ビーチH-18 退役日本航空返還機種はCV-240のみになる 1968年6月8日YS-11 就航当初就航路線那覇 - 石垣線宮古線)。「ゆうな」「ばしょう」「あだん」の3機。 12月:CV-240 退役日本航空返還機種YS-11のみとなる)。 1972年5月15日本土復帰により、日本航空法適用される1973年7月運輸相から定期航空運送事業免許取得12月DHC-6 就航与那国空港航空法適用により滑走路800mでの供用開始となったため、同空港唯一の路線だった石垣線これまでのYS-11替わって就航1974年7月26日:(旧)多良間空港開港により、宮古 - 多良間 - 石垣線 開設8月南大東空港が国の航空法適用により滑走路800mでの供用開始となり、DHC-6のみの運航となる。 1975年7月20日沖縄国際海洋博覧会開催合わせ伊江島空港開港同時に那覇 - 伊江島就航全日本空輸同時使用機種 YS-111976年1月海洋博覧会終了とともに運休)。 1976年5月20日波照間空港開港により、石垣 - 波照間就航DHC-6)。 7月24日那覇 - 伊江島線、DHC-6により運航再開1977年2月利用客低迷により運休)。 12月15日那覇 - 多良間就航DHC-61987年2月 廃止)。 1978年6月30日北大東空港開港により、那覇 - 北大東就航DHC-6)。 7月6日粟国空港開港により、那覇 - 粟国就航DHC-6)。 7月17日:初のジェット旅客機となるボーイング737-200導入同日那覇空港到着24日から日本航空那覇 - 福岡線ウェットリースという形で就航( - 10月15日))。 8月22日:初の沖縄県路線となる那覇 - 与論線 就航YS-11)。 12月1日那覇 - 宮古線ボーイング737-200 投入本格的な運航開始となる。 1979年5月15日那覇 - 石垣線ボーイング737-200 投入石垣空港にとって初のジェット機就航)。 8月10日那覇 - 沖永良部線 就航YS-11)。 1980年11月1日那覇 - 下地就航YS-111994年7月22日 休止)。 11月3日那覇 - 沖永良部線を与論経由変更1987年11月、与論 - 沖永良部 間 廃止)。 1982年8月26日那覇石垣行き611便(ボーイング737-200機体記号 JA8444)が石垣空港オーバーラン事故起こす詳細は「南西航空石垣空港オーバーラン事故」を参照 1985年11月23日:のちに子会社となる琉球エアーコミューター (RAC) 設立1986年4月:初の旅行商品となる「スワルプラン」(現社名変更後はJ-TAP)発売開始11月1日:初の本格的な沖縄県路線本土路線)となる那覇 - 松山線 就航ボーイング737-200)。 1987年2月12日与那国空港滑走路が1,500m延長されたことに伴い石垣 - 与那国線にDHC-6に代わってYS-11を再投入2月15日SWAL専用那覇空港国内線第2ターミナルビル旧国ターミナルビル跡に移転1988年3月11日那覇 - 岡山線 開設松山線に次ぐ2路線目の本土路線)。 1989年7月22日那覇空港以外では初の県外路線となる東京/羽田 - 宮古線直行便就航ボーイング737-200)。 1990年7月21日東京/羽田那覇 - 宮古線ボーイング767-300日本航空 (JAL) からのウェットリースという形で投入8月31日までの夏季限定以降毎年7月後半から8月投入)。 1991年6月1日那覇 - 小松線 就航ボーイング737-200)。 10月28日:初の国外へチャーター便となる那覇 - ソウル/金浦線就航台風接近により前日27日岡山経由運航)。 1992年4月24日那覇 - 名古屋線JALから一部移管1993年1月から完全移管1995年5月10日に再びJAL移管2009年2月から石垣名古屋/中部行き経由便として運航再開)、初の沖縄県発着しない路線となる名古屋 - 山形線就航1995年5月10日JAL移管)。またボーイング767-300この年限り1年間JALからリース投入( - 1993年4月7日5月中旬からはSWAL塗装での運航)。 11月16日DHC-6就航路線路線子会社琉球エアーコミューター移管移管対象路線那覇 - 南大東線・北大東線・粟国線、宮古 - 多良間 - 石垣線石垣 - 波照間線)。 1993年4月8日これまでのボーイング767-300替わりボーイング767-200投入( - 1995年JALからのリース塗装現社名塗装となる)。 4月22日那覇 - 鹿児島線 就航1970年代から検討してようやく実現した2001年3月運休2006年2月からJAL運航再開する2007年3月運休)。

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