南西航空 (SWAL) 時代
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「日本トランスオーシャン航空」の記事における「南西航空 (SWAL) 時代」の解説
1967年6月20日:南西航空株式会社(略称 SWAL)発足。 7月1日:CV-240 2機、ビーチH-18(ビーチクラフト) 1機の計3機で運航開始。就航路線は那覇 - 石垣線・宮古線・久米島線・南大東線、宮古 - 石垣線、石垣 - 与那国線の6路線。コールサインは「NANSEI(ナンセイ)」。那覇 - 石垣線などに以前就航していた航空会社はエア・アメリカである。 12月:ビーチH-18 退役日本航空へ返還、機種はCV-240のみになる 1968年6月8日:YS-11 就航(当初の就航路線は那覇 - 石垣線・宮古線)。「ゆうな」「ばしょう」「あだん」の3機。 12月:CV-240 退役(日本航空へ返還、機種はYS-11のみとなる)。 1972年5月15日:本土復帰により、日本の航空法が適用される。 1973年7月:運輸相から定期航空運送事業の免許を取得。 12月:DHC-6 就航。与那国空港が航空法適用により滑走路が800mでの供用開始となったため、同空港唯一の路線だった石垣線にこれまでのYS-11に替わって就航。 1974年7月26日:(旧)多良間空港開港により、宮古 - 多良間 - 石垣線 開設。 8月:南大東空港が国の航空法適用により滑走路が800mでの供用開始となり、DHC-6のみの運航となる。 1975年7月20日:沖縄国際海洋博覧会開催に合わせ伊江島空港が開港、同時に那覇 - 伊江島線 就航(全日本空輸と同時、使用機種 YS-11、1976年1月の海洋博覧会終了とともに運休)。 1976年5月20日:波照間空港開港により、石垣 - 波照間線 就航(DHC-6)。 7月24日:那覇 - 伊江島線、DHC-6により運航再開(1977年2月に利用客低迷により運休)。 12月15日:那覇 - 多良間線 就航(DHC-6、1987年2月 廃止)。 1978年6月30日:北大東空港開港により、那覇 - 北大東線 就航(DHC-6)。 7月6日:粟国空港開港により、那覇 - 粟国線 就航(DHC-6)。 7月17日:初のジェット旅客機となるボーイング737-200を導入(同日那覇空港に到着、24日から日本航空の那覇 - 福岡線にウェットリースという形で就航( - 10月15日))。 8月22日:初の沖縄県外路線となる那覇 - 与論線 就航(YS-11)。 12月1日:那覇 - 宮古線にボーイング737-200 投入、本格的な運航開始となる。 1979年5月15日:那覇 - 石垣線にボーイング737-200 投入(石垣空港にとって初のジェット機就航)。 8月10日:那覇 - 沖永良部線 就航(YS-11)。 1980年11月1日:那覇 - 下地線 就航(YS-11、1994年7月22日 休止)。 11月3日:那覇 - 沖永良部線を与論経由に変更(1987年11月、与論 - 沖永良部 間 廃止)。 1982年8月26日:那覇発石垣行きの611便(ボーイング737-200、機体記号 JA8444)が石垣空港でオーバーラン事故を起こす。詳細は「南西航空石垣空港オーバーラン事故」を参照 1985年11月23日:のちに子会社となる琉球エアーコミューター (RAC) 設立。 1986年4月:初の旅行商品となる「スワルプラン」(現社名変更後はJ-TAP)発売開始。 11月1日:初の本格的な沖縄県外路線(本土路線)となる那覇 - 松山線 就航(ボーイング737-200)。 1987年2月12日:与那国空港の滑走路が1,500mに延長されたことに伴い、石垣 - 与那国線にDHC-6に代わってYS-11を再投入。 2月15日:SWAL専用の那覇空港国内線第2ターミナルビルが旧国際ターミナルビル跡に移転。 1988年3月11日:那覇 - 岡山線 開設(松山線に次ぐ2路線目の本土路線)。 1989年7月22日:那覇空港以外では初の県外路線となる東京/羽田 - 宮古線(直行便) 就航(ボーイング737-200)。 1990年7月21日:東京/羽田・那覇 - 宮古線にボーイング767-300を日本航空 (JAL) からのウェットリースという形で投入(8月31日までの夏季限定、以降毎年7月後半から8月に投入)。 1991年6月1日:那覇 - 小松線 就航(ボーイング737-200)。 10月28日:初の国外へのチャーター便となる那覇 - ソウル/金浦線が就航(台風接近により前日27日に岡山経由で運航)。 1992年4月24日:那覇 - 名古屋線をJALから一部移管(1993年1月から完全移管、1995年5月10日に再びJALに移管。2009年2月から石垣発名古屋/中部行きの経由便として運航再開)、初の沖縄県を発着しない路線となる名古屋 - 山形線を就航(1995年5月10日にJALに移管)。またボーイング767-300をこの年に限り1年間JALからリースで投入( - 1993年4月7日、5月中旬からはSWAL塗装での運航)。 11月16日:DHC-6就航路線 全路線を子会社の琉球エアーコミューターに移管(移管対象路線:那覇 - 南大東線・北大東線・粟国線、宮古 - 多良間 - 石垣線、石垣 - 波照間線)。 1993年4月8日:これまでのボーイング767-300に替わり、ボーイング767-200が投入( - 1995年、JALからのリース、塗装が現社名塗装となる)。 4月22日:那覇 - 鹿児島線 就航(1970年代から検討してようやく実現したが2001年3月で運休、2006年2月からJALで運航再開するも2007年3月で運休)。
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