日本トランスオーシャン航空 (JTA) 時代
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「日本トランスオーシャン航空」の記事における「日本トランスオーシャン航空 (JTA) 時代」の解説
1993年7月1日:南西航空株式会社から現社名の日本トランスオーシャン航空株式会社(略称 JTA)に社名変更。 7月21日:現社名に変更後初の路線開設となる東京/羽田 - 石垣線 就航(ボーイング737-200、石垣空港にとって初の本土直行便となる。ただし石垣発東京/羽田行きは給油のため宮古経由の運航)。 1994年7月22日:最新機種のボーイング737-400を導入。那覇 - 宮古線に投入(以後各路線に投入)。 9月4日:大阪/関西 - 石垣線 就航(石垣発大阪/関西行きは、給油のため宮古経由の運航)。 1995年4月:ボーイング737-400のJALへのウェットリース開始(同社が同機種を導入したため)。 1996年9月20日:日本アジア航空 (JAA) とのウェットリースによる石垣 - 台北/桃園線のチャーターフライト運航。 1997年4月15日:那覇 - 与論線を子会社の琉球エアーコミューターに移管(同社の最新機種DHC-8-Q100導入に伴うもの、機材もYS-11から変更)。 7月18日:久米島空港の滑走路が2,000mへ延長されジェット化に伴い、那覇 - 久米島線がこれまでのYS-11に代わって同空港初のジェット旅客機となるボーイング737-200での運航となる。また同時に東京/羽田 - 久米島線 就航( - 9月、以降1998年 - 2006年までは6月 - 9月、2007年以降は7月中旬 - 9月の季節限定運航となる。また2007年以降は久米島発は那覇経由となる)。 8月1日:東京/羽田 - 那覇線 就航(当社初の国内幹線路線の就航、最終便のみだが10月 - 翌年5月には那覇発のみ午前便が増便)。 1998年10月1日:那覇 - 高知線 就航(松山線と交互で週3日の運航、2009年2月で運休)。 1999年5月26日:那覇空港国内線ターミナルビルが現在地に移転・供用開始。これにより国内線ターミナルビルが統合され、これまで別ビルだった日本航空(JAL)や全日空 (ANA) グループ、日本エアシステム (JAS・のちにJALに統合)との乗換えが便利になる。 7月1日:大阪/関西 - 那覇線 就航。 7月15日:YS-11が与那国空港のジェット化に伴い退役。 7月16日:与那国空港のジェット化に伴い、石垣 - 与那国線がこれまでのYS-11に替わって同空港初のジェット旅客機となるボーイング737-200での運航となる。 2001年4月1日:福岡 - 那覇線 就航(JALの一部を移管)。那覇 - 福島線をJALから移管・就航(2009年2月で運休)。 2002年2月9日:当社初のジェット旅客機であるボーイング737-200が退役(以降機種はボーイング737-400のみとなる)。 7月16日:那覇 - 富山線 就航(以後2005年まで7月中旬 - 8月の夏季限定運航)。 10月:持株会社日本航空システム(のちに日本航空に社名変更後、日本航空インターナショナルに吸収合併)発足に伴い、当社は日本航空インターナショナル(現・日本航空)の子会社となる。 2003年1月:ロゴ・航空機塗装デザインを変更(JALにあわせて"JTAノ"ロゴに。変更初号機就航は同年2月より)。 7月17日:大阪/伊丹 - 石垣線 就航。同時に石垣発大阪/伊丹行きが宮古経由となるため宮古→大阪/伊丹線(宮古発の片道のみ)も就航。それに伴い石垣発大阪/関西行きの経由地が那覇空港となる。(いずれも2007年3月で運休、ただし石垣発大阪/関西行きの那覇経由は6月まで継続)。 2006年3月16日:那覇 - 北九州線 就航(2010年5月5日で運休)。 2007年4月1日:日本トランスオーシャン航空、日本航空インターナショナル、日本アジア航空、JALウェイズ、JALエクスプレス、ジェイ・エアが『ワンワールド』に正式加盟・サービス開始。 7月1日:神戸 - 那覇線(JAL便の一部を移管)、神戸 - 石垣線(石垣発神戸行きは那覇経由、これにより石垣発大阪/関西行きの経由地が那覇空港から再び宮古空港となる)を就航。 2008年7月1日:神戸 - 那覇線を全便JALより移管(一部はJAL機材・乗務員によるJTA便としてウェットリース運航)。東京/羽田 - 那覇線 深夜便運休。 2009年2月1日:名古屋/中部 - 石垣線 就航(石垣発名古屋/中部行きは那覇経由、これにより那覇発のみだが那覇 - 名古屋/中部線が14年ぶりに運航再開(中部国際空港行きは初))、那覇 - 松山線が毎日運航再開(高知線 運休に伴うもの)。 2010年5月31日:神戸 - 那覇線、神戸 - 石垣線 運休(これにより石垣発大阪/関西行きの経由地が宮古空港から再び那覇空港となる)。 10月30日:前身の南西航空時代に初の沖縄県外定期路線として就航した那覇 - 松山線が運休。 10月31日:福岡 - 那覇線の全便をJALより移管(ただし一部臨時便としてJALが運航する場合あり)。 2011年3月27日:名古屋/中部 - 那覇線が16年ぶりに全便JALより再移管され運航再開(那覇発は石垣発の経由地として2009年2月から運航再開しているが、逆の名古屋/中部発那覇行きは初運航)。 7月:航空機塗装デザインを変更(変更初号機就航は同年7月中旬より)。 2012年3月24日:名古屋/中部 - 石垣線 運休。 7月13日:大阪/関西 - 那覇線の一部をJALより移管(那覇発は石垣発便の経由地として運航している)。 2013年1月8日:石垣 - 与那国線 運休(代替として琉球エアーコミューター便が増便)(運休後も同年2月29日から3月17日までの間、金・日曜に2往復4便を運航) 3月7日:石垣発着便を石垣空港から南ぬ島石垣空港に変更。それに伴い石垣発の東京/羽田線・大阪/関西線を直行化。 3月:機材刷新計画で現在のB737-400からB737-800に移行すると発表した。 2016年1月21日:JTAの次期新機材となるB737-800初号機を北米ボーイング・フィールドのデリバリーセンターで受領した。 2月10日:B737-800初号機就航。 2018年5月14日:沖縄出身の安室奈美恵の芸能デビュー25周年と9月の引退を記念した特別デザイン機"AMURO JET"を期間限定で就航。 2019年5月26日:B737-400が完全退役。 6月8日:羽田 - 宮古島便に搭乗予定だった機長からアルコールが検出される 10月1日:ハワイアン航空とコードシェア開始。 2020年4月1日:JALグループとして7年ぶりに、制服を一新 2021年3月28日:繁忙期期間運航便として名古屋/中部 - 宮古線新規就航、名古屋/中部 - 石垣線運航再開。同時に東京/羽田 - 宮古線、石垣線、久米島(夏季運航)線においてJALとの運送の共同引受開始に伴い、JAL便としての運航開始。 4月29日:繁忙期期間運航便として大阪/関西 - 宮古線運航再開。
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