勅令と追放とは? わかりやすく解説

勅令と追放

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 04:32 UTC 版)

モリスコ追放」の記事における「勅令と追放」の解説

レルマ公は結局バレンシア大司教フアン・デ・リベラ(英語版)の助け借りてフェリペ3世納得させた。大司教モリスコ全般的に異教徒裏切り者であるとみなす人物であった大司教は王に、より説得力あるよう計画をたてる構想与えた。王はモリスコらの資産不動産没収でき、このことによって王家財源にかつてのような劇的な後押し提供された。大司教は『良心のうちのどんな良心の呵責もない』のでこのようなことができたのだが、彼は王に、モリスコ奴隷にしてガレー船鉱山アメリカ大陸植民地働かせるようにも勧めたが、この提案拒否された。 1609年4月9日モリスコ追放勅令署名された 。政府は、それほど多くモリスコ追放することには問題があると知っていた。モリスコ住民数が最大であるバレンシアから追放始められることが決まっていた。準備厳正に秘密裡なされた9月入りイタリアからテルシオ大軍到着した。彼らはバレンシアの主要港、アルファケス、デニアアリカンテ配置された。9月22日バレンシア副王バレンシア大司教フアン・デ・リベラが、勅令公表命令したモリスコ労働者失えば自分たちの農業収入崩壊してしまうと、バレンシア上流階級追放抗議するため政府会見した政府は、彼らの損失引き替えモリスコ資産土地一部提供したが、損失補償なるには不足だった。モリスコは、持ち運べものなら何でも持っていくよう許された。しかし、彼らの住宅土地は彼らの主人のものとなった移動前に自宅に火をつけたり壊したら、死を覚悟しと禁じられた。特定の例外与えられた。全ての100世帯のうちの6世帯は、皆が去った後に残りモリスコ優勢であった町での基盤維持して良い許された。ごく少数しかこの特例該当せず、彼らも後でいずれは追放されるだろうと考えられていた。加えて4歳未満の子供たちの追放選択自由であった。これは後に16歳まで拡大された。リベラ大司教は、強くこの解釈一部反対した。彼は、少なくとも、子供たち両親とともに去ることを禁じ、『彼らの魂の救いのために』隷属させ、キリスト教徒にさせなくてはならない働きかけた。 9月30日最初亡命者たちが港へ連行され、そこでは最後侮辱として、彼らに旅行代金支払うよう強制したモリスコたちは北アフリカ輸送された。そこで彼らは時に受け入れ側人々から侵略者だとして非難された。別の時には小さな反乱船上起こり船員との戦闘亡命者数人殺害された。これが、バレンシア残ったモリスコ住民恐怖引き起こし10月20日追放反対する反乱起きた。6,000人を数えた反乱軍は、人里離れたアヨラ谷とムエラ・デ・コルテスを占拠した5日後、新たな反乱バレンシア南岸起こり15,000人の反乱軍ルガル谷を占拠した11月反乱軍制圧された。わずか3ヶ月間で、116千人ものモリスコバレンシアから北アフリカ輸送された。1610年アラゴン王国モリスコ追放始まった特定の地域としてのアラゴンであり、元のアラゴン王国全土ではない)。41,952人がアルファケス経由北アフリカ送られ13,470人がピレネー山脈越えてフランスへ送られた。アグドの港にモリスコ大半送られたことにフランス人憤慨し、そして陸路をとった人々通過料と海上料金請求され9月カタルーニャ君主国モリスコたちが追放された。同様にアンダルシア32,000人のモリスコ追放したカスティーリャでのモリスコ追放は、最も困難な作業だった。どの場所にも固まって住まず、むしろ1571年モリスコ反乱以後モリスコたちはカスティーリャ国内分散していたのであるこのために、モリスコ自発的な出立という最初選択自由を与えられた。彼らは自分たちの一番価値のある財産売ったり他のことをすることができた。カスティーリャでのモリスコ追放1611年から1614年までの3年続けられた。全体32,000人ほどのモリスコカスティーリャ去った一部追放避けてスペインにとどまることさえできた。公式に追放完了された後、おおよそ1万人ほどのモリスコスペイン残った見積もられており、その大部分カスティーリャにいた。 追放印象的に作用した国家は、居住者地位目録注意深く保管し官僚機構短期間で国からあのような膨大な人数モリスコ追い出すために、効率的に機能したのである

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