勅令と追放
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レルマ公は結局、バレンシア大司教フアン・デ・リベラ(英語版)の助けを借りてフェリペ3世を納得させた。大司教はモリスコを全般的に異教徒・裏切り者であるとみなす人物であった。大司教は王に、より説得力があるよう計画をたてる構想を与えた。王はモリスコらの資産と不動産を没収でき、このことによって王家の財源にかつてのような劇的な後押しが提供された。大司教は『良心のうちのどんな良心の呵責もない』のでこのようなことができたのだが、彼は王に、モリスコを奴隷にしてガレー船、鉱山、アメリカ大陸植民地で働かせるようにも勧めたが、この提案は拒否された。 1609年4月9日、モリスコ追放の勅令が署名された 。政府は、それほど多くのモリスコを追放することには問題があると知っていた。モリスコ住民数が最大であるバレンシアから追放が始められることが決まっていた。準備は厳正に秘密裡になされた。9月に入り、イタリアからテルシオの大軍が到着した。彼らはバレンシアの主要港、アルファケス、デニア、アリカンテに配置された。9月22日、バレンシア副王・バレンシア大司教フアン・デ・リベラが、勅令の公表を命令した。モリスコ労働者を失えば自分たちの農業収入は崩壊してしまうと、バレンシア上流階級は追放に抗議するため政府と会見した。政府は、彼らの損失と引き替えにモリスコの資産と土地の一部を提供したが、損失の補償となるには不足だった。モリスコは、持ち運べるものなら何でも持っていくよう許された。しかし、彼らの住宅と土地は彼らの主人のものとなった。移動の前に自宅に火をつけたり壊したら、死を覚悟しろと禁じられた。特定の例外が与えられた。全ての100世帯のうちの6世帯は、皆が去った後に残り、モリスコが優勢であった町での基盤を維持して良いと許された。ごく少数しかこの特例に該当せず、彼らも後でいずれは追放されるだろうと考えられていた。加えて、4歳未満の子供たちの追放は選択自由であった。これは後に16歳まで拡大された。リベラ大司教は、強くこの解釈の一部に反対した。彼は、少なくとも、子供たちが両親とともに去ることを禁じ、『彼らの魂の救いのために』隷属させ、キリスト教徒にさせなくてはならないと働きかけた。 9月30日、最初の亡命者たちが港へ連行され、そこでは最後の侮辱として、彼らに旅行代金を支払うよう強制した。モリスコたちは北アフリカへ輸送された。そこで彼らは時に、受け入れ側の人々から侵略者だとして非難された。別の時には、小さな反乱が船上で起こり、船員との戦闘で亡命者の数人が殺害された。これが、バレンシアに残ったモリスコ住民の恐怖を引き起こし、10月20日に追放に反対する反乱が起きた。6,000人を数えた反乱軍は、人里離れたアヨラ谷とムエラ・デ・コルテスを占拠した。5日後、新たな反乱がバレンシア南岸で起こり、15,000人の反乱軍がルガル谷を占拠した。11月に反乱軍は制圧された。わずか3ヶ月間で、11万6千人ものモリスコがバレンシアから北アフリカへ輸送された。1610年にアラゴン王国でモリスコ追放が始まった(特定の地域としてのアラゴンであり、元のアラゴン王国領全土ではない)。41,952人がアルファケス経由で北アフリカへ送られ、13,470人がピレネー山脈を越えてフランスへ送られた。アグドの港にモリスコの大半が送られたことにフランス人は憤慨し、そして陸路をとった人々は通過料と海上料金を請求された9月、カタルーニャ君主国のモリスコたちが追放された。同様にアンダルシアは32,000人のモリスコを追放した。 カスティーリャでのモリスコ追放は、最も困難な作業だった。どの場所にも固まって住まず、むしろ1571年のモリスコ反乱以後、モリスコたちはカスティーリャ国内に分散していたのである。このために、モリスコは自発的な出立という最初の選択自由を与えられた。彼らは自分たちの一番価値のある財産を売ったり他のことをすることができた。カスティーリャでのモリスコ追放は1611年から1614年までの3年間続けられた。全体の32,000人ほどのモリスコがカスティーリャを去った。一部は追放を避けてスペインにとどまることさえできた。公式に追放が完了された後、おおよそ1万人ほどのモリスコがスペインに残ったと見積もられており、その大部分はカスティーリャにいた。 追放は印象的に作用した。国家は、居住者の地位の目録を注意深く保管し、官僚機構は短期間で国からあのような膨大な人数のモリスコを追い出すために、効率的に機能したのである。
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