副王太子兼第二副首相兼国防大臣兼経済開発評議会議長としてとは? わかりやすく解説

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副王太子兼第二副首相兼国防大臣兼経済開発評議会議長として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:48 UTC 版)

ムハンマド・ビン・サルマーン」の記事における「副王太子兼第二副首相兼国防大臣兼経済開発評議会議長として」の解説

2015年1月隣国イエメンの大統領アブド・ラッボ・マンスール・ハーディー辞任表明する(後に撤回)と、シーア派武装組織フーシイエメン全土掌握した。これに危機感持ったサウジアラビアフーシ対立するイエメン暫定政権支援する形で、3月からイエメンフーシ拠点に対して空爆行って2015年イエメン内戦への介入開始した。これがムハンマド国防大臣としての初めての大きな仕事となった同年4月29日サルマーン勅命発しアブドゥッラー崩御に伴い王太子第一副首相昇格したばかりのムクリン・ビン・アブドゥルアズィーズ退任副王太子第二副首相ムハンマド・ビン・ナーイフ内務大臣政治安全保障評議会議長兼務のまま王位継承順第1位の王太子第一副首相昇格ムハンマド国防大臣経済開発評議会議長兼務のまま王位継承第2位となる副王太子第二副首相昇格となった弱冠30歳に過ぎないムハンマド王位継承第2位となる副王太子第二副首相就任したことは異例であり、公益財団法人中東調査会によると、サルマーンこの人事は、前国アブドゥッラー派だった王太子ムクリン権力核心から遠ざけてサルマーン自身周辺近親スデイリー・セブン閥で固めるため、また息子ムハンマド将来の王に据えるためのものであり、ムクリン退任表向き自身希望による辞任であるが実際サルマーンによる解任であるとされた。 ムハンマドは、健康に問題抱えサルマーン代理として、従来アメリカパキスタン中華人民共和国加えてロシアフランスにも接近するサウジ外交政策委ねられているとされ、2015年6月ロシア開催された「サンクトペテルブルク国際経済フォーラム2015」にアリ・ヌアイミ石油鉱物資源大臣ジュベイル外務大臣らを伴って訪問しエネルギー宇宙開発原子力投資分野における6件の合意書署名したこの際シリア内戦におけるシリアアサド政権への各々立場についても話し合った見られ7月にはロシア仲介アサド情報顧問Ali Mamloukと会談しライバル地域大国イランシリア内戦から手を引けアサド政権存続認め意向伝えたとされている。同年6月フランス訪問し初の「フランス・サウジ合同委員会」を開催120ドル分の兵器発注し原子力発電所建設関わる合意書にも署名した同年9月ムハンマドサルマーン同行して訪米したが、これに関してワシントン・ポスト同年9月8日付のコラムで、将来的ムハンマド王太子ムハンマド・ビン・ナーイフ飛び越えて第8代国王に即位する可能性示唆した。前政権バンダル・ビン・スルターンらが推し進めた中国との経済的軍事的協力関係アジアインフラ投資銀行への加盟や初の合同演習を行うなど強化し中国から購入した無人攻撃機自走砲イエメン投じ弾道ミサイル核施設建設でも協力受けているとされるまた、伝統的な友好国であるパキスタン重視しイスラム協力機構OIC)の条約根拠2015年12月イランシリアといったシーア派諸国を除くイスラム圏34カ国と対テロ連合イスラム軍事同盟英語版)を発足させ、初代最高司令官に前パキスタン陸軍参謀長のラヒール・シャリフ(英語版)を任命したパキスタン加盟する中露主導の上協力機構にも参加申請し対話パートナーとしての参加認められた。 2015年秋王族内で、ムハンマド事実上統治代行している現行のサルマーン体制非難する怪文書出回りこの中でムハンマドは「サウジアラビア政治的に経済的に軍事的に破局導いている。」と非難された。ムハンマド独断専行的に「サウジアラビアサッチャー革命」と評されるような急進的な経済改革プラン志向していることやイエメン軍事介入していることが非難の的となった。またイエメン介入に関しては、同年12月ドイツ諜報機関連邦情報局が「ムハンマドが自らをアラブ指導者として見せ付けるために、独断的に衝動的なイエメンへの介入政策繰り返しており、これに対して王族内で不満が高まっており、サウジ体制危機迫っている。」とする分析結果公表した2016年1月サウジ国内シーア派指導者・ニムル師を処刑すると、これにシーア派イラン反発しイランサウジ大使館群衆襲撃された。これを受けてサウジイラン国交断絶したが、一連のサウジ側の決定は、ムハンマド軍事・外交実権握った影響もあるとされる。この件でムハンマドアメリカケリー国務長官からイランとの関係修復するよう電話受けた同年8月31日から9月2日まで訪日し天皇皇太子徳仁親王安倍晋三内閣総理大臣稲田朋美防衛大臣会談し経済・安全保障分野での二国間協力に関する覚書交わした。この訪日翌年サルマーン国王訪日地ならしでもあった。

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