初期のアジア系アメリカ人俳優
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「ハリウッドにおける東アジア人の描かれ方」の記事における「初期のアジア系アメリカ人俳優」の解説
1910年代、ヴォードヴィルで活躍していた中国系アメリカ人歌手のリー・トン・フーがよく知られていた。 この頃、日本人俳優早川雪洲が映画に出演し始めた。パラマウント映画と契約し、『神々の怒り』(1914年)、『タイフーン』(1914年)を含むサイレント映画20本以上に出演し、ハリウッドのセックスシンボルと見なされていた。1918年にパラマウント映画との契約が終了したが、撮影所はまだ彼を起用したがっていた。しかし早川は自身の会社を立ち上げるためそれらを断った。この時が彼の人気の頂点であった。トーキーが登場すると、アメリカでの彼のキャリアは日本語訛りの英語では苦境に立たされた。第二次世界大戦に突入すると反日感情が高まり職を失った。1949年、第二次世界大戦をテーマにした映画でキャリアを再開し、『戦場にかける橋』(1957年)で第30回アカデミー賞助演男優賞にノミネートされた。 アンナ・メイ・ウォンが中国系アメリカ人映画スターの第一人者とされ、1922年の14歳の時に初出演し、1922年17歳の時に『恋の睡蓮(英語版)』で白人が演じる主役の相手役を演じ、ハリウッドで異人種間の恋愛ルールを破った最初のアジア人となった。1924年までに彼女は世界的に知られるようになったが、映画での配役はステレオタイプや偏見によるものに限られ、うんざりしているところにアジア人以外の女優がアジア人役を演じるようになり、1928年、ウォンはハリウッドを離れてヨーロッパに向かった。1933年、『フィルム・ウィークリー』のドリス・マッキーによるインタビューにおいて、ウォンはハリウッドでの自分の役に関して意見した。「私は演じてきた役に飽き飽きしていた」。「ハリウッドでは私はそれほど必要にされなかった。なぜならプロデューサーたちは実際の中国人よりもハンガリー人、メキシコ人、ネイティブ・アメリカンが中国人役を演じることを好んでいるのだから」と語った。1935年、『大地』の主役に名前が挙がったが、結局白人女優ルイーゼ・ライナーが配役された。ウォンはオリエンタルな「ドラゴン・レディ」のステレオタイプの悪役を演じることを拒否したのである。 ケイ・ルークは『怪探偵張氏(英語版)』シリーズでチャーリー・チャン(白人俳優ウォーナー・オランドおよびシドニー・トラーがイエローフェイスで演じた)の長男リー・チャンとして出演した他、1940年代の『グリーン・ホーネット』のオリジナルのカトー役、1940年の『チャイナタウンの怪人(英語版)』のジェイムズ・リー・ウォン探偵役などを演じ、当時もっとも成功した俳優の1人となった。 韓国系アメリカ人俳優フィリップ・アーンは英語が流暢すぎて役を断られた後、日本人悪役を演じて殺害予告を受け立ち向かった。アーンは多くの作品に出演した。 アジア系アメリカ人俳優はそれでもキャリアをスタートさせようとする。イギリスとインドの混血のマール・オベロンは出自を偽装し、肌を白く塗り主役を演じることができた。1930年代から1940年代、ベンソン・フォン(チャーリー・チャンのシリーズの三男役)、ヴィクター・スン・ヤン(チャーリー・チャンのシリーズの次男)、リチャード・ロー(多数の日本人悪役)、ロータス・ロン(『チャイナタウンの怪人』でケイ・ルークの相手役リン・ウェン役で知られる)、スザンナ・キム、バーバラ・ジーン・ウォン、フェリー・フランケリ、チェスター・ガン、オナラブル・ウー、カン・トン、レイン・トム・ジュニア、モーリス・リュウ、ルディ・ロブルス、島田テル、ウィリー・ファン、トシア・モリ、ウィン・フーなどのアジア系アメリカ人俳優が映画のキャリアを開始し、先駆者として考えられている。 俳優ロバート・イトウは、多数のアジア系アメリカ人俳優が機会を待っているにも関わらず、白人俳優はアジア人を演じることで職が保証されているとする記事を書いた。「実力で配役されるのはほんの一握りであり、限られた空間しかない。しかもアジア人俳優には雑役夫、料理人、洗濯屋、戦争時の気狂いの敵役ばかりで、著名な俳優には稀に「白人ヒーローのサイドキック役」が与えられるのみである。比較的主要なアジア人役には必ず白人俳優が配役される」と記した。
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