初期のイギリス統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 07:27 UTC 版)
「イギリス統治下のビルマ」の記事における「初期のイギリス統治」の解説
ビルマ人の武力による抵抗(英語版)は何年間も散発的に続いた。戦争それ自体はわずか数週間で終わったにもかかわらず、ビルマ北部では1890年まで抵抗が続いた。ついにイギリスはゲリラを全面的に押さえ込む最後の手段として、村々を組織的に破壊するとともに、新しい役人を配置していった。 伝統的なビルマ社会は、君主制の廃止とそれに続いた政教分離によって激変した。ヨーロッパ人とビルマ人の間の結婚は、植民地社会で支配的な地位を占めたアングロ・ビルマ(英語版)として知られる欧亜混血人のコミュニティを生み出した。彼らの階層は英国人の下、ビルマ人の上に位置した。 イギリスはビルマ全土を占領したが、ビルマが中国の朝貢国だったことから、中国を刺激しないようにイギリスは北京への朝貢を続けた。しかしこれは、無意識に中国の増長を招くことになった。1886年に英中間で行われたビルマ会議で、中国は英国による上ビルマの占領を認め、英国は10年ごとに北京への朝貢を続けることで合意した。
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