分布と伝播
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 15:44 UTC 版)
耐寒耐暑性があり、強健で抵抗力も強いので、日本では北海道から沖縄県まで広く植栽されている。北半球ではメキシコシティからアンカレッジ、南半球ではプレトリアからダニーデンの中・高緯度地方に分布し、極地方や赤道地帯には栽植されない。年平均気温が0 - 20℃の降水量500 - 2000 mmの地域に分布している。 自生地は確認されていないが中国原産とされる。中国でも10世紀以前に記録はなく、古い記録としては、欧陽脩が『欧陽文忠公集』(1054年)に書き記した珍しい果実のエピソードが確実性の高いものとして知られる。それに先立ち、現在の中国安徽省宣城市付近に自生していたものが、11世紀初めに当時の北宋王朝の都があった開封に植栽されたという李和文による記録があり、中国でイチョウが広くみられるようになったのは、それ以降であるという説が有力である。中国の安徽省および浙江省には野生状のものがあり、他の針葉樹・広葉樹と混生して森林を作っている。 その後、仏教寺院などに盛んに植えられ、日本にも薬種などとして伝来したとみられるが、年代には古墳・飛鳥時代説、奈良・平安時代説、鎌倉時代説、室町時代説など諸説あるものの、憶測や風説でしかないものも混じっている。六国史や平安時代の王朝文学にも記載がなく、鶴岡八幡宮の大銀杏(「隠れイチョウ」)を根拠とする説も根拠性には乏しいため、1200年代までにはイチョウは日本に伝来していなかったと考えられている。行誉により1445年頃に書かれた問答式の辞書『壒嚢鈔』には深根輔仁『本草和名』(914年)にも記述がないとある。 1323年(至治3年)に当時の元の寧波から日本の博多への航行中に沈没した貿易船の海底遺物のなかからイチョウが発見されている。1370年頃に成立したとみられる『異制庭訓往来』が文字資料としては最古と考えられる。そのため、1300年代に貿易船により輸入品としてギンナンが伝来したと考えられる。南北朝時代の近衛道嗣の日記『愚管記』(1381年)には銀杏の木について、室町時代の国語辞書『下学集』(1444年)にも樹木として記載がある。また、15世紀の『新撰類聚往来』 には、果実・種子としての銀杏(イチャウ)が記載されている。室町中期にはイチョウの木はかなり一般化し、1500年代には種子としても樹木としても人々の日常生活に深く入り込んでいったと考えられる。 幹周 8m 以上の巨樹イチョウの日本列島における分布は、東日本89本(雄株81・雌株8)、中部日本21本(雄株15・雌株6)、西日本50本(雄株24・雌株26)となっている。 ヨーロッパには1692年、ケンペルが長崎から持ち帰った種子から始まり、オランダのユトレヒトやイギリスのキュー植物園で栽培され、開花したという。1730年ごろには生樹がヨーロッパに導入され、18世紀にはドイツをはじめヨーロッパ各地での植栽が進み、1815年にはゲーテが『銀杏の葉 (Gingo biloba)』と名付けた恋愛詩を記している。
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