円熟の作曲家としてとは? わかりやすく解説

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円熟の作曲家として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 20:51 UTC 版)

カール・ニールセン」の記事における「円熟の作曲家として」の解説

当初ニールセン作品認知度は十分とは言え彼の自立は困難であった1894年3月14日彼の交響曲第1番初演されコンサートでは、スヴェンセン指揮をしてニールセンは第2ヴァイオリン演奏した。この交響曲1896年ベルリン演奏された際に大きな成功収め彼の名声大きく貢献した次第劇場用の付随音楽特別な行事のためのカンタータ依頼増えると、いずれもありがた追加収入になったファニング彼の標題作品交響作品の間に発展した関係性について次のように述べている。「時おり、彼は自らの純管弦楽思われる音楽舞台向き発想見出すことになる。時おり、テクストシナリオによって生き生きとした音楽像を発明することを強いられていた彼は、後にそれらをより観念的な使用法へと転化させることができるようになるのである。」 独唱者、合唱管弦楽のためのカンタータ愛の賛歌』は1897年4月27日コペンハーゲン音楽協会初演された。この作品ニールセン1891年イタリアへ新婚旅行で目にしていたティツィアーノ・ヴェチェッリオ絵画嫉妬深い夫の奇跡英語版)』に霊感受けて書かれている写譜のひとつに彼はこう記した。「私のマリーイへ!これら愛を賛美する音色現実比べれば何物でもない。」 1901年よりニールセンヴァイオリニストとして給与加えて国から多少年金受給するようになった。はじめは年800クローネであった1927年には7,500クローネへと増額されている。これにより個人的な弟子を取る必要がなくなり、より多く時間作曲充てられるようになった。また1903年以降は最も懇意にしていた出版社であるヴィルヘルム・ハンセンから年次依頼料が受け取れるようになっていた。1905年から1914年にかけては王立劇場で副指揮者務めていた。1911年には娘婿テルマーニー・エミルヴァイオリン協奏曲 作品33作曲している。1914年から1926年の間は音楽協会管弦楽団指揮した1916年デンマーク音楽アカデミー教員ポストに就きその後生涯この職に留まった。 2つキャリアによる負担と妻が近くにいない状態が続いたことにより、彼の結婚生活長期不和見舞われた。両名1916年別離のための訴訟手続き入り1919年双方同意に基づく別離認められた。1916年から1922年時期には、ニールセンはしばしフュン島のダムゴーやフールサングの地所引きこもるか、ヨーテボリ指揮者として働きながら暮らした第一次世界大戦とも重なったこの時期ニールセン創作上危機数えられファニング述べるところのおそらく彼の最高傑作である交響曲第4番1914年-1916年)や交響曲第5番1921年-1922年)にも大きな影響与えた1920年代には長い付き合いであったデンマーク出版者ヴィルヘルム・ハンセンが、付随音楽『アラジン』交響詩パンとシランクス』の出版引き受けられなくなったことに特に気を揉んだ。 6番目で最後となる交響曲第6番1924年から1925年にかけて作曲された。1925年に重い心臓発作患い活動大幅に切り詰めることを余儀なくされるものの、この世を去るまで作曲継続した多く祝い寄せられ1925年65歳誕生日には、スウェーデン政府から勲章贈られコペンハーゲンではガラ・コンサートレセプション催された。しかし彼は陰気気分であった1925年11月9日デンマーク大衆紙『ポリティケン(英語版)』への寄稿文次のように述べている。 もし人生をやり直せるのであれば、私は頭の中からあらゆる芸術的思考追い払って商人見習いになるか最後に結果目に見えるよう何らかの有用な取引き従事するだろう。(中略全世界が私を認めたとして、しかしそれが早々に立ち去ってしまった後に私が作品と共にポツン残され、すべてが壊れ果て、私は恥に思い至る自分愚かな空想家として生き働けば働くほど、この身を我が作品尽くせば尽くすほどよりよい地位到達できる信じていたのだと。それが私にとって何の役に立つというのか。否、芸術家になることは羨ましがられるような運命ではないのだ。

※この「円熟の作曲家として」の解説は、「カール・ニールセン」の解説の一部です。
「円熟の作曲家として」を含む「カール・ニールセン」の記事については、「カール・ニールセン」の概要を参照ください。

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