作品33
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1911年の作曲。初版は1914年にライプツィヒにおいてグートハイル社によって行われたが、各曲は分冊されて出版された。広告から、当初は以下の9曲を含む予定であったことが知られている。全体的に超絶的な技巧を必要とするエチュード。しかし実際に出版されたのは、第1曲、第2曲、第6曲、第7曲、第8曲、第9曲の計6曲のみであった。第4番は作品33に収録することを見合わせて、後に作品39の第6曲として発表されたため、事実上の欠番となっている。第3曲と第5曲は発表禁止とされたが、作曲者死後の1947年にロシアで発見され、1948年にモスクワ国営出版局より出版された。作品33の初の全曲出版は、1969年にブージー&ホークス社によって行われ、曲順も元に戻された。 第1曲 ヘ短調 アレグロ・ノン・トロッポ 手の交替とシンコペーションの練習曲。ショパンの《練習曲 作品25-4》に似たところがあり、ラフマニノフは「ショパンのその曲を弾きながら第1番を作曲した」と冗談半分で述べたことがある。開始の旋律は《ピアノ協奏曲 第3番》第1楽章の歌い出しと共通する。曲中を通じて頻繁な拍子の変更が目立っており、2/4、3/4、4/4、5/4、3/2をうつろう。 第2曲 (ハ長調)アレグロ 作曲者本人が好んで演奏した作品の一つ(RCAへの録音集の中に実在する)《前奏曲 嬰ト短調》作品32-12と同じく、トロイカを連想させる装飾音型が一貫して鳴り響く中、旋律が聞こえてくる。調号が書かれていないために、一般にハ長調と呼ばれているが、実際には変イ長調やハ短調などに転調している部分がむしろ主で、ハ長調の主和音は最終小節まで登場しない(冒頭は第三音を欠いたC-Gの空虚五度)。最終小節に限って、作曲者本人のペダリングが記されている。 第3曲 ハ短調 グラーヴェ 遺作 二部形式で、葬送行進曲風の前半と、長調に転じ、アルペジオに乗って右手が主題を奏でる後半からなる。後に《ピアノ協奏曲 第4番》の第2楽章に引用された。 第5曲 ニ短調 モデラート 遺作 4分の3拍子と4分の4拍子が頻繁に交代する。右手は3度を多用する。 第6曲 変ホ短調 ノン・アレグロ 両手の交叉と左手の跳躍の練習曲。初版では第3曲として発表された。ノン・アレグロと指定された2小節の導入部を経て、プレストの主部に入る。右手が9連符による無窮動的な装飾音型を奏でる中、左手が鍵盤の左右を飛び回って旋律と伴奏を担当していく。曲想は、《ピアノ協奏曲 第3番》第2楽章の中間部(急速なワルツに変化する箇所)に似ていなくもない。 第7曲 変ホ長調 アレグロ・コン・フォーコ 初版では第4曲。ラフマニノフ本人がレスピーギに明かしたところによると、「市場の情景」であるといい、そのような愛称で呼ばれることもある。雄叫びを上げる開始の3度のファンファーレと、和音の粗野な交替によって、陽気で力強い雰囲気を醸し出している。中間部は、非常に広い音域で跳躍する和音によって演奏者に大問題を突き付けており、その音型を正しいテンポで演奏することは困難を極める。力強さ、正確さ、持久力、リズムの統制、デュナーミクと響きのバランスが要求される練習曲。 第8曲 ト短調 モデラート 初版では第5曲。感傷を交えた憂鬱な旋律で知られる。右手には、「ブラームスの6」と呼ばれる房状和音の並行を、切らずに滑らかに演奏するための練習曲。左手には広い音域に跨るアルペッジョの練習曲。両手で旋律や伴奏音型の受け渡しをする箇所があり、そこでも滑らかで自然な動作が要求されている。その課題を造作なく実践することがこの作品の難点となっている。後半と終結部に、同じ調性で作曲されたショパンの《バラード第1番》を意識したと思しきカデンツァが含まれている。 第9曲 嬰ハ短調 グラーヴェ 初版では第6曲として発表された。稲妻と遠雷を描写したかのような楽曲で、ラフマニノフには珍しく、息の長い旋律よりもリズミカルな和音の交替が特徴的である。右手の和音連打と左手首の柔軟さ、両手のユニゾンの練習曲。重々しい複付点のリズムに始まる。左手が広い音域を移動しながら、急速な(2オクターブにわたる)アルペッジョやさまざまな音程を掴むことを要求されており、否応なくスクリャービンの書法を連想させずにおかない。
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