信仰者用スカプラリオ
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「スカプラリオ」の記事における「信仰者用スカプラリオ」の解説
信仰者用のスカプラリオは、一般の信仰のための信具である。一番使用するのがローマ・カトリック教会で、同様に使用するのは、アングリカンチャーチとルーテル派である。それらを身につける人たちの宗教団体への誓約、聖人、または人生の歩み方を示し、着用者にその約束を思い出させるようにデザインされている。 信仰者用のスカプラリオにはイメージ画などが描かれているもの、または、聖句などが入っていたりするものもある。 信仰者用スカプラリオは、2つの長方形のウール又はその他の布地が紐で結ばれているもので、長方形の一つは、それを身につける人の胸の部分にぶら下がり、もう片方は2つの紐で肩越しに背中の部分に当たるようにぶら下がる。スカプラリオの中には別の紐を腕の部分に通して長方形の布に結び付けるタイプのものもある。 信仰者用のスカプラリオのルーツは、一般の人々を霊的な指導のために教会などに集め、熱心な信者へのいくつかの記章、入会者と献身的な働きをした者の印を授与することなどにたどり着く。スカプラリオに描かれているものやメッセージはたいてい、その修道会が焦点を当てているものや、伝統、特に信仰していることである。信仰者用スカプラリオと免償は17世紀から18世紀にかけてカトリック教会のフラタニティ (Fraternity)の発展と共に結びついた。 特別な約束事と免償がスカプラリオを着用することによって結びついたという事実は、スカプラリオの追従者を増やすことにつながっている。これは初期の例で言えば、カルメル山の聖母のスカプラリオや、カルメル会の修道服にその事実が見られる。この約束事は1251年に聖母マリアがイギリスのケンブリッジ(Cambridge, England)で、カルメル会修道士の聖サイモン・ストック(St. Simon Stock)に出現し、「カルメル山の聖母の茶色のスカプラリオ」(the Brown Scapular of the Our Lady of Mount Carmel)を身につけることを勧め、信心深くこれを身につけた者を救済する約束を彼にしたという、その彼の主張に答えるためだった。このことがカルメル会の伝統がその基礎となっている。しかしながら、この由来は、学者たちに議論を投げかける。今日、歴史家たちはこの聖母マリアの出現が本当に起こったのか疑問を投げかける。他の主張では、カルメル会の他の修道士が聖母マリアの出現を目撃したと言うものもある。 カルメル会の会則ではそのウェブサイトに「聖母が御出現になってスカラプラリオを手渡したという幻視が歴史的に否定されたとしても、スカプラリオそのものは、全てのカルメル会会員に対する聖母の母としての保護、イエスの後を追う個人の約束として、イエスの全ての弟子の完璧なモデルである聖母の足取りを追うものであることは残り続ける。」と書かれている。茶色のスカプラリオの正確な起源に関する学究的な議論に関係なく、それが13世紀後半からカルメル会修道会の習慣の一部であったことは明白である。 む1617年まで日付が遡る無原罪の御宿りの蒼いスカプラリオは、結局、無原罪の御宿りを信じて青いスカプラリオを身に付け、貞節にその人生を送る人にはたくさんの免償と多くの恵みを約束された。 1885年に教皇レオ13世は 聖顔のスカプラリオ(Scapular of the Holy Face)を承認した。これはヴェロニカ(The Veronica)として知られている。そして「ホーリーフェイス(Holy face)」の司祭たちを第一の奉仕団体(Archconfraternity)まで引き上げた。 この教皇は「よきすすめの聖母のスカプラリオ」(the Scapular of Our Lady of Good Counsel)と「聖ヨセフのスカプラリオ」(the Scapular of St. Joseph)もまた1893年に承認している。そして「聖心のスカプラリオ」(Scapular of the Sacred Heart)を 1900年に承認している。1611年には、「聖母マリア下僕会」(Servite Order)の彼らの黒いスカプラリオ(Scapular of the Seven Sorrows of Mary)が教皇パウロ5世から 免償を受け取った。 19世紀の間、多数の他のスカプラリオが承認された。聖母の汚れなき御心の白いスカプラリオ (The white Scapular of the Immaculate Heart of Mary)は1877年に教皇ピウス9世に承認された。よきすすめの聖母の白いスカプラリオ(Scapular of Our Lady of Good Counsel)は1893年に教皇レオ13世から承認を受けた。聖母にそのスカプラリオの着用者に良き導き手になってもらうようにとのことである。 病者の救護者の聖母の黒いスカプラリオ、(The black Scapular of Our Lady Help of the Sick)これは、聖カメリウス・デ・レリス(St. Camillus de Lellis)によって設立されたフラタニティのものであるが、1860年に教皇ピウス9世によって承認されている。1863年には教皇ピウス9世は、緑のスカプラリオ(Green Scapular)もまた承認している。 20世紀前半までに、信仰者用のスカプラリオは、世界中でカトリックの間でジョゼフ・ハイルガ―(Joseph Hilgers)のような強い支持者を得た。1914年にカトリック百科事典(Catholic Encyclopedia)が始まると、「ロザリオや、茶色のスカプラリオなどがカトリックの信仰を表すものとなった。」1917年に報告されたファティマの聖母(Our Lady of Fátima)の出現では、聖母は片手にロザリオ、もう片方の手にスカプラリオを持った姿で現れた。ルチア・サントス(Lúcia Santos)(ファティマの聖母の目撃者の一人)は聖母が彼女に伝えた言葉は「ロザリオとスカプラリオは切り離すことができない。」だった。アメリカにおいては、「スカプラリオ・マガジン」によって百万人のアメリカ人をファティマのメッセージのもとに、ロザリオの祈りをささげることになった。ロザリオと信仰者用のスカプラリオのつながりは、21世紀に入ってもつながっている。カトリック百科事典は信仰者用の小型版の18のローマ・カトリック教会が公認したスカプラリオをリストアップしている。 ローマ・カトリック教会によって認証された全てのタイプで、最も知られており、そして、おそらくもっともポピュラーなものは、カルメル山の聖母のスカプラリオである。時々はそれはその肩紐などの色から茶色のスカプラリオとも呼ばれる。レオ・デ・ゴスブリアンド司教(Bishop Leo De Goesbriand)によると、信仰者用のスカプラリオを身に付けることは「恒常的な瞑想」として見られている。「自分がどこにいようと、私がなにをしようと聖母マリアは私の聖母マリアに対する崇敬の証拠 を見ずにいらっしゃることはない。」という。このスカプラリオは、それは歴史的にイギリス(ブリテン王国)では、英国国教会の信仰の中でもまた人気のあるスカプラリオである。緑のスカプラリオは、「信仰のない人々を改宗させるために始まった。」のだが、キリスト教コミュニティの間のもう一つの人気があるスカプラリオである。霊的な観点から言えば、信仰者用スカプラリオは、瞑想の課程においてカトリックの礼拝と調和する信仰の鍵だという主張もある。
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