信仰軸変更説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:18 UTC 版)
上社本宮の本来の信仰の対象は上壇の磐座(ここでは硯石に比定)とその背後の山(守屋山)であり、本宮の御柱の位置がそれを反映しているという説がある。この説では、中世以降に上壇に拝殿が作られ神仏混交の影響でその奥にある聖域(神居)に「お鉄塔」と呼ばれる仏塔(以下詳細)が設置されると信仰軸が山から拝殿の奥に変わってしまったとされている。 一方で金井典美(1982年)と原正直(2018年)は上社の本来の神体山は八ヶ岳一帯であり、その麓にある上社の狩場・御射山(みさやま)はそれを祀る場所であったという説を立てている。(これに対して八島ヶ原湿原に位置する下社の旧御射山は鷲ヶ峰の神霊を祀る祭場であったと考えられている。)原は中世の終わり頃(武田信玄による上社の祭祀の復興あるいは天正10年(1582年)に焼失した社殿の再建)に際して信仰軸に変更があったことを否定しており、むしろ中世から変わっていないと考えている。本宮の拝殿が向く先には御射山があることを根拠に、原は『上宮鎮坐秘伝記』に見られる「山」を上社の御射山に比定している。 御射山境内には三輪社が鎮座しており、中世では御射山の地主神(本地仏が虚空蔵菩薩)と三輪明神(大物主神)の習合にまで至った。これについて原は三輪信仰を吸収した近江国の山伏が広めた甲賀三郎伝説の影響で諏訪信仰そのものも三輪信仰の影響を受けた結果、御射山の神を三輪山の神と同体とする思想が生まれたという見解を述べている。なお諏訪氏(神氏)を大神氏の同族集団とする説もあり、大神神社と同様に諏訪大社に本殿がないのはこのためであると考えられている。
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