信仰者のバプテスマ(全浸礼)
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「バプテスト教会」の記事における「信仰者のバプテスマ(全浸礼)」の解説
バプテスマとは一般に洗礼と呼ばれる儀式のことであるが、バプテストでは特にこの時に全身を水に沈める(全浸礼)こと、または信仰告白を行うことが重要であるとする。バプテストの各個教会では、洗礼の語を避けて浸礼又はバプテスマと呼ぶことが多い。 従い、自覚的な信仰告白のできない新生児や乳幼児がバプテスマを受けること(幼児洗礼)を否定するのが特徴的である。故に、全浸礼によらない洗礼(滴礼等)をバプテスマと認めず、他教派(聖公会、ルター派、改革・長老派、メソジスト派、会衆派等の諸教派)で受洗しているキリスト者がバプテストの教会に転入を希望する場合にバプテスマを改めて求めるバプテスト教会もある。 ただし、信仰告白に基づいた洗礼(滴礼等)を受けたクリスチャンとして既に積み重ねられてきている信仰生活を確認した上で、再バプテスマを求めないで信仰告白により転入を認めるという立場を取る教会も最近は多い。更に近年では、教会によってはバプテスマを受けようとする志願者が高齢の場合や病床にあるという個別の事情により滴礼を執り行っている。また意志表示が出来ない障害のある者のバプテスマについても、積極的な議論がなされている。しかし、いずれの場合も教会の総意が必要とされている。
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信仰者のバプテスマ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/18 09:30 UTC 版)
「ジョン・スミス (バプテスト牧師)」の記事における「信仰者のバプテスマ」の解説
スミスは教会の解散後も聖書の研究を進めた。そしてスミスは、教会の初期に存在したバプテスマのあるべき姿について、現在それは失われてしまっており、その歴史的継承性も存在しないという結論に至った。しかしスミスはこの結論に至ってもまだ方策はあると考え直し、主の名のもとに正しいバプテスマを行って数名が新たに集まりさえすれば、新たな教会を作ることができるのではないかとも信じるようになった。 そこでスミスは手始めに、まず自分自身に“信仰者のバプテスマ”を行った。ただし、このスミスが行ったバプテスマは、額に水を垂らして行う「滴礼」とも異なり、また後にバプテスト教会で一般化する「バプテスマ(浸礼)」形式(バプテスト教会においては、パティキュラー・バプテストの母体となったグループの方が先行して、この「浸礼」形式を正しいバプテスマとして始めていた)でもなく、「灌水礼」という、頭に水を振りかける儀式であった(その後、スミスが始めた「灌水礼」は、ジェネラル・バプテスト系の教会でしばらく洗礼の形式として一般に用いられることになったが、1651年の信仰告白をもって、ジェネラル・バプテストにおいても「浸礼」形式に統一されている)。なお、スミスが自らに洗礼を行ったことを指して、「セルフ洗礼」と称することもある。こうしてスミスは続けて支持者たちにも洗礼を行い、1609年、スミスは支持者たちとともに、史上初のバプテスト教会を創設した。
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