信仰登山の吉野山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 04:16 UTC 版)
吉野山は、大峰山を経て熊野三山へ続く山岳霊場・修行道大峯奥駈道の北端にあたる。 7世紀(飛鳥時代)に活躍した呪術者・役小角は、葛城山(金剛山・大和葛城山)、大峰山で修行を重ね、金峰山(大峰山系)で、金剛蔵王大権現を感得し、この地に蔵王権現を本尊とする金峯山寺や修行道である大峯奥駈道を開いたとされる。 大峯奥駈道は、南端の熊野を発して吉野に至るのを順峯といい、北端の吉野から熊野に至るのを逆峯と呼んだ。途中には神仏が宿るとされる拝所・行場が設けられ、これらは靡(なびき)、古くは宿と呼ばれ、多い時は120宿があったというが、近世に75の靡となった。 そのうち吉野山は6つの靡の範囲となる。 75靡 柳の宿 - 柳の渡し(美吉野橋)付近 74靡 丈六山 - 吉野神宮辺り。かつては丈六山一の蔵王堂があったとされる。 73靡 吉野山 - 銅の鳥居や金峯山寺蔵王堂など。 72靡 吉野水分(子守)神社 71靡 金精大明神 - 金峯神社 70靡 愛染宿 - 吉野の奥の院(安禅寺)とも呼ばれた。明治初年まで寺院宝塔があったとされる。 愛染宿より南は女人結界であったが、現在の大峯奥駈道の女人結界は五番関に移されている。なお、付近に現在も女人結界跡として残る。
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