作者・典拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 21:10 UTC 版)
この能は紀貫之のかな序の注釈書である『古今和歌集序聞書』(三流抄)に記された女郎花の説話を典拠とする。かな序に於いては「男山の昔を思ひ出でて、女郎花のひとときをくねるにも、歌をいひてぞなぐさめける。」とあり、本来的には「男山」も「女郎花」も掛詞であり、それぞれの単語自体が特別な意味を与えるものではなく、引用が想定される古今集の歌の意味を添えて解釈すれば、これは単に「男が男盛りの頃を思い出したり、女が女盛りの頃を懐かしみ、今ある自分を嘆いては和歌を詠んで慰める」と意訳される一文に過ぎない。しかし三流抄ではこれを文字通りに解釈し、謡曲に書かれるとおりの説話が創作されたとされる。 現行曲の作者は不明であるが、これとは別に田楽の喜阿弥(亀阿弥)作の女郎花が存在したことは世阿弥により記されており(申楽談儀、五音)、内容の類似性から現曲が古曲の改作であろうかと伊藤正義に指摘されている。その古曲には、これと内容を全く異にする作品ではあるが女良花という古能と類似の文句が存在し、さらにその女良花には、和漢朗詠集私注の女郎花の詩に注された中国の漢詩を踏まえるところがみとめられ、これらが現曲に至る関連については詳らかではないにせよ、辞句の類似は全くの偶然とは思われないことが、同じく伊藤正義により指摘されている。 一方で、ワキの僧が九州松浦潟より筑紫潟へ赴く記述等より、説話の舞台が石清水八幡宮ではなく九州にある別の八幡宮とする説もあり、舞台となる八幡宮の比定は難しいものの、謡曲弓八幡との関連と地理的な考察から、高良大社と関係すると考えられている。
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作者・典拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:56 UTC 版)
世阿弥の『三道』に「恋重荷、昔、綾の太鼓なり」とあることから、この「綾の太鼓」が『綾鼓』そのものとする説がある。一方で「綾の太鼓」という古曲を改訂して『綾鼓』になったという説もある。いずれにしても作者は不明である。なお、世阿弥が改作をしている。また、『恋重荷』は世阿弥作とされているので、少なくともそれ以前に作られた曲であるのは間違いないと言われている。
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作者・典拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 09:09 UTC 版)
源頼光が登場する能楽は、他に『大江山』『羅生門』があるが、その『大江山』と『平家物語』の「剣巻」をもとに作られたと言われている。「剣巻」にある、七尺の異形の法師が病に伏せる頼光に綱をつけようとする場面、それに対して頼光が膝丸で応戦する場面、頼光の四天王が法師の血をたどって北野杜の古塚にいた土蜘蛛を鉄串で刺し殺して河原にさらす場面、膝丸を蜘蛛切と呼ぶようになったことなどが取り入れられたと見られている。また『大江山』には独武者が登場し、それらをあわせて『土蜘蛛』は作られている。この独武者は能楽における創作の人物と見られているが、近年、清少納言の兄である清原致信であるとする説もある。また、胡蝶は土蜘蛛の化身という見方もある。
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作者・典拠
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『申楽談儀』で『通盛』の作者であると明記された井阿弥は、将軍足利義満の周辺で活動していた役者であったという説があるが、詳細は不明である。申楽談儀に「通盛、言葉多きを、切り除け切り除けして能になす」とあるため、『通盛』は世阿弥による改訂版であると言われている。世阿弥は本曲を直ぐなる能と評価していることからも、主に削除を中心に改作したのではないかとする説が有力である。 『通盛』は『平家物語』を典拠にしているが、世阿弥作の他の修羅能の作品と違って『平家物語』の内容と異なる部分が幾つか見られる。平家物語では一の谷で命を落とした通盛を、小宰相とともに鳴門に登場させているのもそのひとつだが、これは夫婦の絆を主題に据えたかったため、とする見方もある。
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作者・典拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 04:58 UTC 版)
『申楽談儀』によると、金春権守が演じた、比叡山の山徒である唱導僧の作品が原作であり、後に観阿弥が改作したとされる。それゆえに『申楽談儀』では観阿弥作となっている。また、作者名が無くて、『五音』に一節が掲出されているので、世阿弥も制作に関わったと解されている。
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作者・典拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 13:58 UTC 版)
作者付で、『能本作者註文』『自家伝抄』では世阿弥の作となっているが、不正確な記述とされている。また、世阿弥の芸論にも所見が見られない。 題材に関しては、羽衣伝説が記載される『風土記』によるという説がある。中でも『駿河国風土記逸文』によるものが、最も近いと言う見方が有力である。また、『丹後国風土記』の記述と重なるところも見られる。ただし『駿河国風土記』をはじめとする『風土記』の羽衣伝説では、天女は漁師と夫婦になったり、老夫婦の子どもになったり、しばらく地上に留まっていて、能の羽衣のようにすぐに衣を返したりはしていない。また、天女の舞を舞う事も無い。
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作者・典拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 07:11 UTC 版)
本曲は『弁慶物語』『義経記』など、室町時代の物語に準拠していると言われている。ただし、流布された弁慶にまつわる物語の多くは、千人斬りは弁慶の所行となっている。なかには天理図書館所蔵の『橋弁慶』など、牛若の所行になっているものもある。本曲では牛若の所行とし、それに室町期の義経像が投影され、超人的な能力の持ち主として描かれている。
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