会社設立前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 18:18 UTC 版)
熊本県と鹿児島県は1991年に、九州新幹線開業後に、鹿児島本線の八代駅 - 川内駅間をJR九州から経営分離し、第三セクター方式の鉄道として運営することで合意した。2000年に両県は具体的な検討を開始したが、収支予測は、熊本県内の区間はいくぶんよいが、鹿児島県内の区間は非常に厳しいとされた。このため、熊本側は県内の収入で鹿児島の面倒を見るのはいかがなものかと主張する一方で、鹿児島側は単県での経営は成り立たないと主張し、議論は2年間も平行線をたどった。2002年2月の合意では、三セク会社は合同で設立し、出資および初期投資の負担は両県で1対1とする、赤字が発生した場合には両県区間の実績を把握し、区間の状況に応じて対応するすることになった。2002年10月31日に、肥薩おれんじ鉄道が設立された。 新会社の事業基本計画で前提とした2000年の調査数値では、移行区間のローカル列車利用者数は1日6799人、輸送密度1247人/kmだった。近年の数値は漸減していたことから、開業時の輸送密度は1230人/kmと想定された。この数字は、同時期の第三セクター会社と比べると、土佐くろしお鉄道 (1291)、北近畿タンゴ鉄道 (1168)と同レベルで、三陸鉄道 (511)、廃止された北海道ちほく高原鉄道 (302)に比べれば高い。 初期投資を抑制するために、JR九州からの施設譲渡額は10億円とした。新幹線開業にともなう並行在来線の経営分離で最初のケースとなった、しなの鉄道の軽井沢駅 - 篠ノ井駅間では、この金額が簿価を基準に103億円と高額になり、経営圧迫の元凶となった。肥薩おれんじ鉄道では、JR九州としての路線は廃止するのだから、更地化して他社に譲渡する場合はどうなるかと考え、建物も減価償却を終えて資産価値0で算定したのが、10億円の根拠である。 貨物列車のために残す電化設備の維持費を確保するため、開業後10年間は最低でも年額2億8千万円の線路使用料をJR貨物に保証させた。JR貨物としては、おれんじ鉄道区間を通過できなければ競争力を失うため、この条件を受諾し、1億円の出資もした。従来、JR九州に支払っていた線路使用料と、新たな基準で算定される三セクの線路使用料の差額は、国からJR貨物に調整金が支払われる。 おれんじ鉄道の、役員を含む全社員94人のうち9割を、開業から10年間、JR九州からの出向とした。これにより、人件費の半分はJR九州が負担する。こうした支援策により、開業から9年間は、償却前黒字になると予測された。 電化設備は残しているが、これは貨物列車用であり、旅客列車はHSOR-100形気動車を導入した。JR九州から中古電車を譲り受けるとすれば、経営分離時に鹿児島本線の南部区間などで使用されていた3両編成では輸送力過剰であり、475系は老朽化していた。単行運転が可能な電車は、量産タイプが無いため生産コストが高く、小浜線に導入されたJR西日本125系電車は1両あたり1億8千万円だった。一方、軽快気動車は標準仕様が確立され1両あたり1億2千万円で、付帯の設備費などを考慮して選択された。 もし、電化設備を取り払う場合は、おれんじ鉄道区間のために、貨物列車牽引用のディーゼル機関車を用意する必要があり、車両新造費、運転・保守の要員、保守設備の確保、作業量の増大などで、高コストの要因になる。こうした点を考慮して、貨物列車は電化、旅客列車は非電化の使い分けが決まった。
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会社設立前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/20 14:46 UTC 版)
江戸時代後期から明治時代にかけて、大山町の和田川、小見川流域では、石灰石の採掘と石灰(生石灰、消石灰)の生産が盛んになった。明治30年代には石灰窯の数が100を超え、年間生産高も1万トンを超える規模となったが、原料や製品の運搬は山道を人力で運搬するにとどまった。旧態依然の輸送手段は地域産業発展のボトルネックにもなっていたことから、地域の有志らが人車軌道の建設を模索。1897年に小見村-東文殊村間で内務大臣名による軌道開設特許を得た。しかしながら石灰生産は農家の副業的な生産体制で零細化しており、有志らは大山町一帯で軌道建設に必要な資力を確保することができなかった。
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