愛電の電気事業起業
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1889年(明治22年)12月、名古屋市において中部地方第一号となる電気事業者名古屋電灯が開業し、愛知県における電気事業の歴史が始まった。電気事業は県内他都市にも波及していき、1894年(明治27年)に豊橋市で豊橋電灯(後の豊橋電気)が、次いで1897年(明治30年)に岡崎市で岡崎電灯が相次いで開業する。以後しばらく3社体制が続くが、1910年代に入ると一宮市の一宮電気など新規事業者が相次いで開業をみた。愛知電気鉄道もこの時期に電気事業へ参入した事業者の一つにあたる。 愛知電気鉄道は知多半島西海岸への鉄道敷設を目的に設立された鉄道会社である。1909年(明治42年)9月に鉄道敷設を出願、1910年(明治43年)9月に名古屋市内の熱田と知多郡常滑町(現・常滑市)を結ぶ鉄道敷設免許を得て、1910年11月21日付で会社設立に至った。この段階での会社の事業目的は鉄道事業と土地事業であり、まだ電気供給事業についての規定はない。会社設立後ただちに鉄道敷設準備が進められ、その中で所要電力を当初想定していた自社火力発電ではなく名古屋電灯からの受電でまかなうことが決定され、12月に受電契約が成立した。この時期、名古屋電灯は長良川の長良川発電所や木曽川の八百津発電所といった大型水力発電所の完成を背景に大口需要の開拓に精力的であり、市内電車を運転する名古屋電気鉄道も同年9月に自社火力発電の補給用として受電を契約している。 愛知電気鉄道が発足したころの知多半島(知多郡)では名古屋電灯の勢力がまだ及んでおらず、知多瓦斯(後の知多電気)が東海岸の半田町・成岩町・亀崎町(現・半田市)および武豊町を、先に触れた岡崎電灯が東浦村(現・東浦町)を供給区域とする電気事業の許可をそれぞれ得ていただけであった。従って愛知電気鉄道の鉄道沿線は電気供給事業の空白地帯であり、この隙間を埋めるべく愛知電気鉄道でも参入することとなった。電気供給事業の兼営許可出願は会社設立前の1910年3月8日付でなされ、会社設立半年後の1911年(明治44年)4月1日付でその許可を得た。4月27日には臨時株主総会を開いて電気供給事業兼営を議決し、事業目的に電灯電力供給を加えている。鉄道事業と電気供給事業の兼営は愛知県内では愛知電気鉄道以外の例はないが、近隣では伊勢電気鉄道(三重県)や岩村電気軌道・美濃電気軌道(岐阜県)といった例がある。 愛知電気鉄道の許可当初の供給区域は、知多半島南端の師崎町(現・南知多町)を含む知多郡18町村と愛知郡の2町村である。許可をうけて鉄道敷設工事と並行する形で供給事業関係の設備工事を1911年8月に着工、送電線工事と名和(知多郡上野村、現・東海市)・日長(同郡旭村、現・知多市)両変電所の工事を年内に終えた。また9月からは勧誘員を置いて電灯・電力供給の予約受付を始め、11月末までに電灯3,000灯と相当数の電力供給の申し込みを得た。こうした準備を経て、翌1912年(明治45年)2月11日の紀元節を期して愛知電気鉄道は供給事業を開業した。現在の名鉄常滑線にあたる鉄道路線の開通が旧正月にあたる同年2月18日付であるため、本業の鉄道事業に先立つ開業となった。開業時の点灯区域は鳴海・有松・大高・横須賀・岡田・大野・常滑・西浦の沿線8町。次いで上野・八幡・旭・鬼崎・三和の5村でも点灯し、5月末の段階では電灯数3910灯・動力用電力供給78馬力(58キロワット)を数えた。
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