土地事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 13:55 UTC 版)
電灯・電力供給を追加した1909年9月の定款改正の際、他にも娯楽機関の経営および土地家屋の賃貸営業についても定款に盛り込まれていた。この方面の事業が本格化するのは第一次世界大戦後で、九州電気軌道は土地事業を目的として1919年(大正8年)12月30日に資本金600万円で新会社九州土地信託株式会社を設立、20万坪に及ぶ土地を譲渡して不動産経営に当たらせた。 1922年(大正11年)2月、九州土地信託は九州土地株式会社へ社名を変更する。同社は引き続き土地販売や貸地・貸家経営を営むが、1932年(昭和7年)9月24日付で九州電気軌道に合併され、不動産経営は九州電気軌道直営に戻された。これとは別に、九州電気軌道は1930年11月に小倉市鋳物師町・平松町地先の公有水面埋立に関する免許を元社長松方幸次郎と松方が経営する川崎造船所から無償で譲り受けた。埋立て面積は46万坪に及び、まず一部を先行して埋立て小倉発電所を建設し、発電所から廃棄される炭滓を利用して埋立てを推進した。 1933年(昭和8年)10月、九州電気軌道は埋立て事業とあわせて不動産経営を再分離し、資本金500万円で九州土地興業株式会社を設立した。移管された不動産は土地73万坪、家屋460棟であった。埋立て事業はその後1942年(昭和17年)4月に竣工し、埋立地は小倉市東港町と命名された。完成した埋立地は順次売却され、小倉油脂・九州特殊鋼・九州精米などの工場が進出している。なお1940年(昭和15年)1月に九州電気軌道が配電事業を九州水力電気に譲渡した際、九州土地興業の株式も折半され半数を九州水力電気が引き受けたが、同社の九州配電統合決定に伴い翌1941年(昭和16年)12月にこの株式は九州電気軌道に返却された。 九州電気軌道が建設した娯楽施設には到津遊園がある。到津遊園は軌道線沿線社有地を開発して1932年7月31日に開園。翌1933年10月1日には遊園の隣接地を開拓して動物園を設置し、さらに1935年には子供向け遊技場を新設、1936年には浴場・娯楽室・食堂などを備える子供ホールを開設するなど施設を拡張していった。
※この「土地事業」の解説は、「九州電気軌道」の解説の一部です。
「土地事業」を含む「九州電気軌道」の記事については、「九州電気軌道」の概要を参照ください。
- 土地事業のページへのリンク