仏画・神画
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「長崎県指定文化財一覧」の記事における「仏画・神画」の解説
国指定重文の仏画には、長崎清水寺の「絹本着色不動明王三童子像」、崇福寺の「絹本着色仏涅槃図一幅」、平戸最教寺の「絹本着色仏涅槃図一幅」の3点がある。 名称位置指定日解説文珠菩薩絵像 一幅 平戸市鏡川町 松浦史料博物館 1968年4月23日 平戸松浦家に代々伝わっていた鎌倉時代末期作成と推測される仏画。髪に八仏を置き、獅子に座った「八字文殊菩薩騎獅像」で、八天童子を率いた妙童子の形相で描かれている。増益・息災・降伏の修法に用いられた。 安国寺什物 10点 壱岐市芦辺町深江栄触 安国寺 1975年1月7日 古刹安国寺に室町時代より伝わる絵画5点・書状3点・工芸品2点を一括指定した。絵画はすべて絹本着色(羅漢像2幅・羅漢請雨図・十六善神図・釈迦文殊普賢三尊図)。書状は住職任命書2通と寺領書、工芸品は雲板と鈴からなる。 醴泉院の釈迦十六善神図 対馬市厳原町今屋敷 対馬歴史民俗資料館 1980年2月29日 南北朝時代に京で描かれたと推測される仏画。面相は鎌倉風だが、南北朝の金泥彩色技法が用いられる。中央の釈迦如来と左右の文殊菩薩・普賢菩薩は状態が良いが、最下段の十六善神は褪色が激しい。 醴泉院の涅槃図 対馬市厳原町今屋敷 対馬歴史民俗資料館 1980年2月29日 箱書の享禄3年(1530年)頃に描かれたと推測される仏画。全体構成は一般的な涅槃図を踏襲しているが、沙羅双樹の写実性や太さの変化に富む枠線、彩色の濃淡など、桃山時代から本格化する写実表現が現れつつある。 聖福寺の涅槃図 長崎市玉園町 聖福寺 2003年3月25日 明朝末期から清朝初期にかけて浙江省で作成され、元禄2年(1689年)に聖福寺へ寄進された涅槃図。釈迦が横たわる場所が宝床台の上、足を伸ばさず左膝を立てるなど、浙派系仏画に見られるパターン破りの構図を取る。 春徳寺の涅槃図 長崎市夫婦川町 春徳寺 2003年3月25日 明朝末期から清朝初期にかけて浙江省で作成され、春徳寺へ寄進された涅槃図。同時に指定された先述の聖福寺涅槃図と酷似しており、同様に浙派系仏画に見られるパターン破りの構図を取り、道教思想の混入が見られる。 絹本著色高野四社明神像 壱岐市芦辺町住吉東触 住吉神社 1975年3月4日 芦辺出身・大阪在住の大谷六左衛門が明治27年(1894年)に奉納した丹生明神・高野明神・蟻通明神・弁財天の四柱を描いた図。大谷が関西方面で入手した室町時代中期の作品で、絹に金泥多彩な色を載せている。 冷泉為恭筆法然上人行状絵 長崎市鍛冶屋町 大音寺 1960年3月25日 幕末の絵師冷泉為恭が嘉永年間に模写した幕末復興大和絵。原画は土御門天皇が描かせた「円光大師行状図」で、円光法師こと法然の生涯を描いた12幅仕立238図の巻物。京で活躍した為恭の肉筆が長崎に移った経緯は定かでない。
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