仏画・神画とは? わかりやすく解説

仏画・神画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:58 UTC 版)

長崎県指定文化財一覧」の記事における「仏画・神画」の解説

指定重文仏画には、長崎清水寺の「絹本着色不動明王童子像」、崇福寺の「絹本着色仏涅槃図一幅」、平戸最教寺の「絹本着色仏涅槃図一幅」の3点がある。 名称位置指定日解説文菩薩絵像 一幅 平戸市鏡川町 松浦史料博物館 1968年4月23日 平戸松浦家代々伝わっていた鎌倉時代末期作成推測される仏画。髪に八仏を置き、獅子座った八字文殊菩薩騎獅像」で、八天童子を率いた童子形相描かれている。増益息災降伏修法用いられた。 安国寺什物 10点 壱岐市芦辺町深江栄触 安国寺 1975年1月7日 古刹安国寺室町時代より伝わる絵画5点書状3点工芸品2点一括指定した絵画はすべて絹本着色羅漢像2幅・羅漢請雨図・十六善神図・釈迦文殊普賢三尊図)。書状住職任命書2通と寺領書、工芸品雲板と鈴からなる醴泉院釈迦十六善神対馬市厳原町今屋敷 対馬歴史民俗資料館 1980年2月29日 南北朝時代に京で描かれたと推測される仏画面相鎌倉風だが、南北朝金泥彩色技法用いられる中央の釈迦如来左右文殊菩薩普賢菩薩は状態が良いが、最下段十六善神褪色激しい。 醴泉院涅槃図 対馬市厳原町今屋敷 対馬歴史民俗資料館 1980年2月29日 箱書享禄3年1530年)頃に描かれたと推測される仏画全体構成一般的な涅槃図踏襲しているが、沙羅双樹写実性太さ変化に富む枠線彩色濃淡など、桃山時代から本格化する写実表現現れつつある。 聖福寺涅槃図 長崎市玉園町 聖福寺 2003年3月25日 明朝末期から清朝初期にかけて浙江省作成され元禄2年1689年)に聖福寺寄進され涅槃図釈迦横たわる場所が宝床台の上、足を伸ばさず左膝を立てるなど、浙派仏画見られるパターン破り構図を取る。 春徳寺涅槃図 長崎市夫婦川町 春徳寺 2003年3月25日 明朝末期から清朝初期にかけて浙江省作成され春徳寺寄進され涅槃図同時に指定され先述聖福寺涅槃図酷似しており、同様に浙派仏画見られるパターン破り構図取り道教思想混入見られる絹本著色高野四社明神壱岐市芦辺町住吉東触 住吉神社 1975年3月4日 芦辺出身大阪在住大谷左衛門明治27年1894年)に奉納した丹生明神高野明神蟻通明神弁財天四柱描いた図。大谷関西方面入手した室町時代中期作品で、絹に金泥多彩な色載せている。 冷泉為恭筆法上人行状長崎市鍛冶屋町 大音寺 1960年3月25日 幕末絵師冷泉為恭嘉永年間模写した幕末復興大和絵原画土御門天皇が描かせた「円光大師行状図」で、円光法師こと法然生涯描いた12仕立238図の巻物。京で活躍した為恭の肉筆長崎移った経緯定かでない

※この「仏画・神画」の解説は、「長崎県指定文化財一覧」の解説の一部です。
「仏画・神画」を含む「長崎県指定文化財一覧」の記事については、「長崎県指定文化財一覧」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「仏画・神画」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「仏画・神画」の関連用語

仏画・神画のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



仏画・神画のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの長崎県指定文化財一覧 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS