仏泰戦争と雲南問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 00:29 UTC 版)
「フランス第三共和政」の記事における「仏泰戦争と雲南問題」の解説
1888年にフランスは、タイ保護領シップソーンチュタイ(英語版)をフランスの保護国化したが、併合に不服のタイが1893年に仏泰戦争(英語版)を起こした。これに勝利したフランスは、フランス保護領ラオス(フランス語版)をもフランス領インドシナに併合し、同年には露仏同盟を結んでいた。フランスは、中国分割において1895年に三国干渉したことから、イギリスにとってはフランスとロシアとが連携してイギリスを挟撃してくる恐れが生じた。ソールズベリー侯爵が清国の領土保全を訴え、新たにイギリスとの間に雲南問題を抱えたが、1896年にイギリス・フランス両国は「シャムとメーコーン上流域に関する英仏宣言」を締結した。
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