仏涅槃図
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「感応寺 (江戸川区)」の記事における「仏涅槃図」の解説
感應寺の寺宝として釈迦入滅時の悲嘆の情景を描いた仏涅槃図を所蔵。感應寺の涅槃図は元禄年間(1688年 - 1703年)16世・日全の代に描かれ、その後1826年(文政9年)、2014年(平成20年)と2度に渡って修復された。掛軸の寸法は横207.5cm、縦345.5cm。
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仏涅槃図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:06 UTC 版)
仏涅槃図は昭和63年(1988年)に村指定の文化財に指定された。沙羅双樹の下で釈迦が横になる姿が描かれており、周りに多くの弟子が釈迦涅槃を囲み、手前には多くの動物が配されている。軸に「寛延四年辛未三月吉祥日京都六角通室町東江入骨屋町 表具師 伊勢屋庄右衛門」と銘がある。縦175センチメートル×横125センチメートルのサイズで、松川村川西に室町時代から明治時代初期まで存在した「大和山観松勝院」が廃寺となった後、廃仏毀釈により観松院に移された可能性がある。
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仏涅槃図
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 03:36 UTC 版)
仏涅槃図は釈迦入滅を、右脇を下に横臥する釈迦を中心に菩薩や羅漢、僧侶、会衆ら人間のほか動物に到るまで釈迦を取り囲み、嘆き悲しむ情景を描いた仏画。また周囲には白変しているサラソウジュ(しばしば8本であり、これは八正道をあらわしているという)が描かれている場合もある。釈迦を追善供養する涅槃会の際に懸用された。日本では平安時代から製作され、高野山金剛峯寺所蔵品は最古の作例として知られる。 仏涅槃図は他の釈迦を描いた仏教絵画とともに宗派を問わず多くの寺院に具備されており、鎌倉時代・室町時代の作例も多い。鎌倉後期には宋元画の影響を受ける。
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