京の大仏(大仏殿)を描いた作品の一覧
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「京・大坂図屛風」(大阪歴史博物館所蔵) 「洛中洛外図屏風」狩野派(東京富士美術館 所蔵) 豊国祭礼図屏風 狩野内膳(豊国神社所蔵) 既述。慶長11年(1606年) 作。方広寺大仏殿が描かれているが、現存する2代目大仏殿指図(設計図)や大仏殿を描いた江戸期の他の絵図と、破風等の大仏殿の細部の形状が異なることから、(絵師のミスでなければ)初代大仏殿の造形を描いたものとされる。 「日本誌」エンゲルベルト・ケンペル 既述。2代目方広寺大仏殿が描かれている。大英博物館には、3代目大仏の全身を描いたケンペルのスケッチが所蔵されている。 「五条橋大仏殿眺望図」伝円山応挙(神戸市立博物館 所蔵) 五条大橋と市中の街並み、2代目大仏殿がそれぞれ描かれ、大仏殿の巨大さが分かる。観相窓から3代目大仏が顔を覗かせている。 「大仏詣図」葛飾北斎(島根県立美術館所蔵) 「方広寺大仏殿炎上図」長沢芦雪(個人蔵) 「洛東大仏殿出火図」著者不詳(国際日本文化研究センター所蔵) 既述。2代目大仏殿が落雷で焼失する過程が絵図で克明に記録されている。 「花洛一覧図(木版摺)」横山華山作 既述。2代目大仏殿焼失後の文化5年(1808年)の出版であるが、2代目大仏殿があえて描かれている。 「再撰花洛名勝図会」 既述。1862年の作で、規模を縮小して再建された3代目大仏殿(1973年焼失)が描かれている。野ざらしの大仏殿基壇と台座(1798年焼失の3代目大仏のもの)が描かれており、この頃はまだ残されていたことが分かる。。 「大仏の食い逃げ」 京都に伝わる昔話。京都のむかし話研究会著『京都のむかし話』にも収録される。話のおちが大仏躯体の材料と絡めて語られる点が注目される。この話の成立年代は不明だが、木像の方広寺3代目大仏造立後と思われる。昔話の概略は以下の通りである。京の大仏と奈良の大仏は揃って伊勢神宮へ参拝に行くことにした。道中で腹が減ったので、蕎麦屋に立ち寄った。両大仏は銭を持っていなかったが、いずれかがおごってくれるだろうと思い込み、たらふく蕎麦を平らげた。両大仏はいずれも銭を持っていないことに気がついたので、食い逃げをすることにした。両大仏は蕎麦屋から走って逃げたが、食い逃げに気が付いた店主が彼らを追いかけ、遂に追い付かれてしまった。店主が蕎麦打ち棒で奈良の大仏の頭を叩くと、奈良の大仏は銅像であるのでクワーン、クワーンという音がした。店主は「あれだけ食べておきながら、食わん食わんとは何事か」と激怒した。続いて京の大仏の頭を叩くと、京の大仏は木像であるのでコツコツという音がした。店主は「蕎麦代をこつこつ返すというなら、何故初めからそう言わないのか」と言い、両大仏は赦免された。両大仏は自身に供される賽銭で、こつこつと蕎麦代を返済したという。なおこの昔話は『まんが日本昔ばなし』でアニメ化されて放送された(1993年10月16日放送分 No.1424)。 漫画、とりわけ戦国時代を扱った歴史物では、豊臣秀吉による方広寺大仏造営と地震による崩壊、徳川家康による方広寺鐘銘事件が描かれることが多い。 「幽霊画談」水木しげる作 既述。仏の幽霊の項で、1798年落雷による大仏の焼失後、大阪の寺町の松の茂みが、往時の大仏を彷彿とさせると、大仏を懐かしむ京都民衆の間で口こみが広がり、当地は訪問者で連日賑わったとの逸話が紹介されている。 「へうげもの」山田芳裕作 方広寺造営と地震による大仏の損壊、怒った秀吉が損壊した大仏に矢を放つ場面、方広寺鐘銘事件等、桃山時代から江戸時代初頭までの、一連の方広寺にまつわる事柄が描かれている。
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