京の浮世絵師・菱川清春とは? わかりやすく解説

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京の浮世絵師・菱川清春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/06 04:37 UTC 版)

菱川清春」の記事における「京の浮世絵師・菱川清春」の解説

天保年間青年期は、京都で「菱川師宣五世」と称し挿絵絵師として活躍していた。現在確認されている最古作は、1830年文政13天保元年)、清春23歳時の『御影参宮風流雅帖伊勢土産』(暁鐘成編)の挿絵担当、「曄斎菱川清晴」と記している。この時期代表作摂州大阪天満宮御祭礼図」4続には、「浮世絵画工」と肩書きし、天保3年1832年)の『傾城情史大客』(瀬川恒成著、関亭京述)の跋文では「浮世絵師 菱川清春記」と自著天保年間版行された『伊勢物語』との扉絵に「美人の図」落款に「菱川師宣古図、翠松園珍蔵五代目菱川清春模写」と記すなど、自覚的に菱川末流だと名乗っていたことがわかる。 1833年天保4年)、26歳時には、既に「月川輝重」という門弟抱え一家成していた。また、一時大坂上町に住んでいたともいう。1832-36年にかけ、15件の版本挿絵手掛けている。作例として、1834年天保5年)、瀬川恒成作の『嵐峡花月奇譚あらしやまつきはなものがたり)』2編10冊、1835年天保6年)、池田東籬作の『銀河草紙』などが挙げられる何らかの事情出版されず、稿本のみ残る『絵本深山物語』(関西大学図書館)では、稿本ならではの迫力ある画面見せ清春の高い画力窺える。他に特筆すべき仕事として、1836年天保7年)、祇園祭長刀鉾金具下絵制作挙げられる

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