京の百姓葬送の地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:32 UTC 版)
この時代の「百姓」とは貴族官人以外の納税者、庶民の意味である。中世の庶民に「先祖代々の墓」はない。「先祖代々」は「家」の確立があってのことであり、庶民にも「家」の概念が浸透するのは江戸時代からである。そして平安時代から鎌倉時代まで、庶民のほとんどは風葬である。インドだけでなくかつては日本においてもそれは普通の日常的な光景であった。平安時代には子供ならば貴族の子、天皇の子の遺体さえも火葬も土葬もされずに町の外に運んでそのまま土の上に置かれている。。871年(貞観13年)の太政官符には鴨川の下流を指して、近年耕地化されつつあるがここは「百姓葬送の地、放牧之処」であるので耕地化を禁止すると命令している。
※この「京の百姓葬送の地」の解説は、「やぐら」の解説の一部です。
「京の百姓葬送の地」を含む「やぐら」の記事については、「やぐら」の概要を参照ください。
- 京の百姓葬送の地のページへのリンク