二島返還論
(二島譲渡論 から転送)
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二島返還論(にとうへんかんろん)あるいは二島譲渡論(にとうじょうとろん)とは、日本とロシアの間の領土問題となっている北方領土問題について歯舞群島と色丹島の二島を日本に返還あるいは譲渡する案。日本の政治家やマスメディア、政治団体などは主に返還として北方領土問題に言及することが多いが、ロシアの政治家やマスメディアは首尾一貫して返還(ロシア語: реставрация)ではなく「譲渡」(ロシア語: передача)という立場を取っていることに留意されたい。戦後期のサンフランシスコ平和条約締結後の二島返還論(二島譲渡論)と鈴木宗男らの段階的返還論、ロシアの提示する二島「譲渡」論の3種類がある。
概要
サンフランシスコ平和条約締結後の二島返還論(二島譲渡論)
日本は、1951年9月8日に署名したサンフランシスコ平和条約第二章第二条(c)において、千島列島におけるすべての権利、権原及び請求権を放棄した。ここでいう千島列島には、南千島である択捉島と国後島も含まれ、北海道の付属島である歯舞群島と色丹島は含まれないとするのが当時の日本政府の公式見解であった。当時の日本政府はこうした考えのもと、二島返還を条件にソ連と平和条約締結交渉を開始した。これに対し、ソ連側は二島「譲渡」として受け入れ、一時は平和条約締結がまとまりかけた。しかし、平和交渉の第一次ロンドン交渉の途中で日本側は突如それまでの主張を転換、択捉島と国後島は我が国固有の領土でありサンフランシスコ講和条約で放棄した千島列島には含まれないという根拠付けのもと、択捉島と国後島を要求し平和条約交渉は難航した。その後、日ソ双方は平和条約締結を諦め、それに代わる日ソ共同宣言を出し、領土問題を先送りにすることで国交を回復した。
1956年の日ソ共同宣言では、お互いが「譲渡」に合意していた色丹島、歯舞群島を平和条約締結後に日本に「譲渡」するとしている[1]。この日ソ共同宣言に対するロシア政府の公式見解としては歯舞、色丹のみを日本に「譲渡」し、国後島、択捉島についてはロシア領土として返還も「譲渡」もしないことを意味する。日本政府の公式見解としては日ソ共同宣言に明記した色丹島や歯舞群島はもちろんだが、それに加え、日本固有の領土である択捉島と国後島も当然合わせて返還すべきだというものである。
段階的返還論(二島先行返還論)
北方領土問題が膠着化する中で二島先行返還論は政治家の鈴木宗男や外務省幹部の東郷和彦や佐藤優が知られており、森喜朗は現職首相として訪露した際、ロシア側へ提案したこともあるが、先方からは拒否された。鈴木宗男は、「二島先行返還論」はマスメディアによる造語であるとして、自らの立場を「段階的返還論」と呼んでいる。鈴木宗男の段階的返還論は、色丹島と歯舞群島の二島のみが日本領土であるとするロシア側の主張やかつての日本政府の主張とは異なり、四島とも日本固有の領土であるが、まずは二島を返してもらおうというものである。
しかしながら、ロシアのプーチン政権下における鈴木宗男、佐藤優らの主張は、「共同宣言に盛り込まれていない国後、択捉の返還については、ロシアに求めた段階で交渉は壊れてしまう。(返還は)ゼロで終わる」と述べ、2島返還のみをお願いし、2島返還後に領土交渉をしない方向へと意見が変節している。[1]
日本政府は四島の日本への帰属が確認されれば返還の時期や態様は柔軟に対応するとする四島返還論を主張している。なお、国境地帯にあたる根室市では、旧島民も含め、二島先行返還論が強くなってきている[2]。
二島返還あるいは二島譲渡が実行された場合、二島にあたる色丹島と歯舞群島の陸地の合計面積は北方四島全体の7%に過ぎないが、200海里排他的経済水域を含めると、最低でも北方領土全体が返還あるいは譲渡された場合の20%、最大で50%近くに上る(北方四島の中で海上ラインをどこに引くかによって水域は大きく変わる)。根室の住民が2島の返還を望む根拠はここにあり、漁民にとって返還の意義は陸地の7%に比するまでもなく大きい[2]。
「二島先行返還論」は、過去に日本がアメリカとの交渉の過程で奄美群島(1953年)、小笠原諸島(1968年)、沖縄(1972年)と段階的に返還が実現したことをふまえつつ、それをロシアとの北方領土問題にも当てはめて二島の先行返還を経て段階的に四島返還を目的とすることを意味する。一方で四島一括返還論者は二島先行返還論が二島返還で終わる危うさがあると批判している。
日本側の二島返還論の分類
二島先行返還論
色丹島と歯舞群島の二島を、先に返還して貰い、残り二島の返還交渉も継続して進め最終的に4島返還の達成を目標とするものである。鈴木宗男が当初提唱した案だが、2019年には、「最終的に四島全部を返還する事はもう無い、不可能である」と、鈴木本人は語っている[要出典]。
二島返還論
四島の全部の返還は、求めずに、歯舞と色丹のみ返還を要求する[要出典][2]。二島返還後は、残りの二島の返還はロシア側に求めない(択捉島・国後島の放棄)。
〇島返還+α論(二島の使用権のみ)
返還される二島(歯舞・色丹)は、ロシア主権(領土)のまま返還され、その後、ロシアに対し、領土交渉も出来ない[要出典]。ロシア領土のままのため、歯舞と色丹の周りの領海はロシア管轄のままとなる。
主権無しのレンタル契約の場合、賃貸料で莫大な金額をロシア側に支払う可能性も有り、日本の経済的な負担がとても大きい。「+α」部分は、歯舞と色丹の周りの海の漁業使用権となる。
ロシアの主張を、ほぼ日本が受け入れた状態となる。
2島返還の世論調査
産経・FNN合同世論調査にて、2島返還についての調査を実施した所、「歯舞、色丹2島だけの返還で交渉終了」は10%程度にとどまり、「四島の返還を望む」が76%以上と、四島返還を望む世論が圧倒的に多いことが分かった。尚、「2島先行返還」は、交渉を継続し最終的に4島の返還を目指すため、「4島返還」に含まれる。
ロシアの二島譲渡論
なおロシア側における二島「譲渡」論(二島返還論ではないことに注意)とは、主に歯舞・色丹の譲渡のみでこの問題を幕引きさせようとする案のことであり、現在のロシア政府の公式見解である。いずれにせよ、ソビエト時代を含め、ロシア側は首尾一貫して返還ではなく「譲渡」であるとする立場を崩していない。これは、ロシア側が、日ソ中立条約の破棄を条約違反ではなく「正当な解消」であるとする立場を貫いているためであり、そこには「北方領土の占領と編入は第二次世界大戦の成果として当然、認められるべきだ」とする含みがある。一見荒唐無稽とも取れるロシアの主張だが、ヤルタ会談における極東密約(ヤルタ協定)により、アメリカの大統領とイギリスの首相が日ソ中立条約の破棄および北方領土の領有に対して正当性を担保しているので、ソ連の対日参戦が不法な宣戦布告であると簡単には一蹴できない点に留意されたい。
脚注
- ^ 日ソ共同宣言内において、日露両言語いずれも正文として、下記のように明記されている。(※「譲渡」を意味する箇所を太字化)
「ソヴィエト社会主義共和国連邦は、……歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。」
«Союз Советских Социалистических Республик, ... соглашается на передачу Японии островов Хабомаи и острова Сикотан» - ^ a b 岩下明裕 『北方領土問題 : 4でも0でも、2でもなく』 中央公論新社
関連項目
二島譲渡論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:12 UTC 版)
日ソ共同宣言に基づき、宣言通りに平和条約を締結後に歯舞群島・色丹島を「引き渡す」ことによって、領土問題を終結するとするのが「唯一の法的根拠がある」 解決策だとする。ロシア側は、「この解決策は「返還」にはあたらず、「善意に基づく譲渡」に該当する」との立場を取っている。 ロシア側の根拠は、「日本は既にサンフランシスコ講和条約によって、北方四島を含む千島列島の領有権を放棄しているため、旧ソビエトの領有宣言により、北方領土の領土権はすでにロシアにある」というものである。サンフランシスコ講和条約の第2条(c) で日本は千島列島を放棄している。ロシア側はこの千島列島の定義には北方四島が含まれるとする。その根拠として日本が署名した樺太・千島交換条約のフランス語の原文が示される。この認識の上で、"両国の平和条約締結および、ロシアの千島列島に対する領土権を国際法上で明確に確立するという国益のためならば、平和条約を締結後に歯舞・色丹の二島を日本側に「引き渡し」てもよい"とするのがロシア側の立場である。また"この立場は日ソ共同宣言で日ロの両国が確認しているので、これから遊離することはあり得ないだけでなく、四島「返還」を求める日本は不誠実である"とロシア側は主張している。 実際に当時の全権委員の松本俊一の回想録『モスクワにかける虹』や、原貴美恵による研究においても]、日ソ共同宣言がこの解決策を意識したものであったと述べられている。しかし領土に関する国会の情勢は、GHQによる占領下の国会論議においてすでに、沖縄や小笠原などを含め、のちの民社党議員を中心とした日本社会党や日本共産党などの野党議員がこの問題を軸に、現実的外交 を標榜し右顧左眄する吉田内閣から以降の政権党(自由党)を糾弾する構図であり、左派・右派議員あるいは朝野(与野党)を問わない活動家による四島返還を主張する機運が高まり、四島返還要求が日本の国策になった。 またアメリカ側は、国務長官ダレスがロンドンにおける重光外相との会談のなかで国後択捉に関して忠告を与え、仮に残り二島の返還を放棄するなら米国としても沖縄を米国領として併合することになるとの主旨のメッセージを日本側に伝え 二島譲渡を念頭にした鳩山外交は内外からの圧力により挫折することになり、日ソ共同宣言と引き換えに承認された国際連合への加盟を花道に鳩山内閣は総辞職となった。 なお、旧ソビエトはサンフランシスコ講和条約に署名しておらず、同条約からの利益をえることは25条により拒否されている(先述)。結果として、日本はロシアとは未だに平和条約を締結していない。さらに、サンフランシスコ講和条約ならびに日ソ共同宣言では日本が放棄した千島列島および南樺太がどの国に帰属するのかは明記されておらず、不明のままである。これに対してロシアはサハリン州を設置し、千島列島および南樺太の領有を主張しているが、国際法上は法的根拠が無いとされている。 ロシア側は、"日本の領有権そのものがすでに消滅しており、両国の平和条約の締結における条件は日ソ共同宣言で確認済みであり、この合意を破棄した日本に問題の根源がある"と見なしており、現在では後述の日本の領土返還主張全面放棄がよりよい解決策であるとの見解を示すようになっている。これに対して、日本側は"北方領土の全ての「領有権」を主張する立場"を取っており、両国の交渉は平行線をたどる状況にある。
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