主な海援隊士とは? わかりやすく解説

主な海援隊士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 02:33 UTC 版)

海援隊」の記事における「主な海援隊士」の解説

土佐坂本龍馬 - 海援隊隊長沢村惣之丞 佐々木高行 - 土佐藩上士戊辰戦争において海援隊指揮を執った。龍馬死後戦闘面では実質的に二代目隊長であった長岡謙吉 - 海援隊事務全般執り行い龍馬の死後は二代目隊長となる。土佐藩医者家出身で鳴滝塾にてシーボルト医学学んだ経歴を持つ。維新後三河県知事石田英吉 - 医師の家に生まれ緒方洪庵師事し医術学んだ経歴を持つ。維新後秋田県令・千葉県知事はじめ、多く県知事職を歴任海援隊時代同士であった陸奥宗光農商務大臣になったとき次官招かれ陸奥補佐した長岡とともに逸材とされ、「二吉」と賞される。 坂本直高松太郎) - 龍馬の甥であり、子のなかった龍馬の家を継ぎ坂本直改名した菅野覚兵衛 - 土佐庄屋業をしていた。維新後海軍少佐西南戦争時には薩摩滞在していた。 新宮馬之助 - 龍馬近所生まれ幼馴染龍馬の姉乙女宛ての手紙に頻繁に名前が出てくる。維新後海兵団所属海軍大尉池内蔵太 安岡金馬 野村維章野村太郎) - 土佐藩白札出身砲術教授役をしていた。明治維新後は佐賀県参事参事歴任後、初代茨城県令に就任その後控訴院検事歴任し東京控訴院検事長・大阪控訴院検事長中島信行中島作太郎) - 土佐郷士維新後板垣退助とともに自由民権運動指導した初代衆議院議長近藤長次郎 - 生家龍馬の家の近く饅頭屋をやっていた。薩長同盟時には伊藤博文井上馨とともに長州藩軍艦兵器買い付け多大な功績があった。長州藩勧め英国留学する予定であったが他の同士から脱退とがめられ自刃した。 吉井源馬 坂本清次郎三好清明) - 龍馬親戚維新後自由民権運動参加越前関義臣山本龍二) - 福井藩士。維新後大阪府判事鳥取県権令大審院検事徳島県知事山形県知事貴族院議員等を歴任渡辺剛八大山壮太郎、大山重) - 福井藩士。戊辰戦争参加し維新後北海道開拓使出仕。後に福井県吉田郡長、大飯郡長を務めた山本洪堂(復輔、洪輔) - 福井藩医師山本宗平次男松本良順門下大阪精神病院の院長務めた息子宗一の後を継いだ親戚の子供友香山本病院初代院長となった佐々木栄三上栄太郎三上太郎)- 福井藩士。大番組三上太夫の子小谷耕蔵 - いろは丸船長 腰越次郎 越後白峰駿馬 - 長岡藩士。維新後留学し造船術を学ぶ。帰国後、造船所経営橋本久太夫 讃岐佐柳高次 - 咸臨丸太平洋横断乗組員紀伊陸奥宗光 - 紀州藩士。維新後知事県令歴任その後農商務大臣外務大臣外務大臣として条約改正日清戦争講和三国干渉などにつきすぐれ手腕発揮した下関伊藤助太夫 - 下関商人海援隊活動支える。 長崎小曽根英四郎 - 長崎商人でもあり、海援隊活動支える。豪商小曽根乾堂の弟。 大浦慶 - 長崎商人日本茶輸出貿易先駆者海援隊活動支える。 中江兆民 - 海援隊士ではなかったが、海援隊宿舎居候をしていた。後年当時龍馬について語っている。

※この「主な海援隊士」の解説は、「海援隊」の解説の一部です。
「主な海援隊士」を含む「海援隊」の記事については、「海援隊」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「主な海援隊士」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「主な海援隊士」の関連用語

1
8% |||||

主な海援隊士のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



主な海援隊士のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの海援隊 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS