主な思想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 19:04 UTC 版)
氏は哲学書の読解に終始する既存の哲学に対して問題提起を行っており、その実践として積極的な思想提言・発信をしている。以下に主な思想を提示する。 氏の思想的土台として、既存の大学内哲学を批判し、人間のネオテニーとしての特性(アシュレー・モンタギュー)に着目して、『体験に基づき自分の頭で考える』という意味で哲学を再定義する為に、恋知(れんち)思想を提唱している。 詳細は「恋知」を参照 近代西洋哲学は、キリスト教神学=スコラ哲学の改革として、デカルトに始まりハイデガーにより終焉した思想史であると指摘する。それを超える為には、近代西洋哲学と異なる発想に立つ必要性があり、同時にキリスト教等の一神教的思想世界とも決別した上で、新たに哲学的思想を発展させて行く他に無いと指摘する。古代の実存思想(アテナイのソクラテス、インドのブッダ、中国の老子)に学ぶ必要性を指摘し、それを実践する”恋知の営み”を提案している。 人権思想について、キリスト教圏で育まれた唯一神の存在を必要とする思想ではなく、幼子の存在を前にした時の自然な愛情を淵源とする、より普遍的な思想として人権思想を再定義し直す事が必須であると指摘する。 日本社会における集団同調的社会風土や、教育の本質を「受験を目的とする学習」とする現状等の現代日本社会が抱える諸問題の深因は、根強く残る戦前思想にあると指摘し、厳しく批判している。明治政府が作成した、天皇を絶対的な中心に据え上下倫理に重きを置く近代天皇制(大日本帝国憲法下の天皇制)の道徳観念には根本的な問題があると指摘し、この道徳観念が亡霊のように現代社会に生き続ける限り、総合的判断力としての個人の理性を獲得できない、即ち道徳を獲得できないとする。武田は、白樺派の文豪である志賀直哉の『こんな奇妙なものが無ければならないのかしら?天皇というのはおそらく人間ではあるまい、単に無形の名らしい。』という見方を自身の思想と重なるものとして紹介し、“天皇という記号”により生まれる“タブーを含む社会”は、無意識領域まで管理され思考しない人間を生んでしまうと指摘する。この事は現代日本人の人生観や生き方にも大きく影響していると指摘し、これを超克する必要性を訴え、より善い市民社会の実現と豊かな人間性を開花させる為の実存思想として、”恋知”を思想的土台とする事を提唱している。 唯一神への信仰である一神教やその亜流である西欧哲学を前提とした人権思想・民主主義思想を改めた上で、”恋知”を元に天皇制から共和制への移行が必要であると指摘している。
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