丹羽と小林: コルン・ベラン方式の改良
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「ファクシミリ」の記事における「丹羽と小林: コルン・ベラン方式の改良」の解説
1928年、日本電気の丹羽保次郎とその部下、小林正次はベラン式やコルン式の同期ずれによる画像乱れを改良したNE式写真電送機を開発した。NE式は在野の発明家安藤博による「同期検定装置」を採用。送信側の回転ドラムを三相交流モーターで回し三相の波を単相にした波を電話回線で相手側に送り、受信機側で三相交流電流に戻して記録用の交流モーターを回して同期を取る、同期信号を受信側に送ることで送信側と受信側のモーターを完全に同じ回転数で回せる方式だった、この方式の利点は送信側が一回転ごとに同期信号を送ってくるため送信側の回転数がブレても受信側も同じ回転数になるため同期が崩れない。当時三相交流は強電系の技術であり直流モーターを使用することが普通だった弱電で使用する機械は珍しかった。写真の明暗の変化は光電管で電気信号に変換して電話回線の中では音の強弱に変換されて送られる、電話の音の周波数をモーターの回転数に、音量を明暗の濃さに変換することで画像に乱れなく写真を電送出来た。この同期検定装置は後にファクシミリだけでなく遠隔地のモーターの回転数を制御する技術として広範囲に活用されている。高い精度で送れる反面、データー圧縮が行えないので通信速度面では不利であった。 1928年11月10日に京都御所で行われた昭和天皇の即位礼を、京都から東京に伝送したのが実用化第1号であった。即位礼の時、速報を大阪毎日新聞社と朝日新聞社がかって出た。 しかし、同じ音叉などを送受信双方に組み込んで同期を取るベラン式やコルン式は気温や湿度の影響を受けやすく環境変化で同期が崩れる問題が克服できず画像が歪んでしまい、国は歪んだ画像を文書に載せ公開することを禁止する法律を制定した。朝日新聞社にドイツのFAXの技術者が、大阪毎日新聞社に当時の日本電気の技術者が就き、両社とも試験時はまったく成功せず、NE式を採用した大阪毎日新聞社が本番のとき、初めて成功した。 朝日新聞社は、大阪毎日新聞社が速報を出した数時間後に、やっと成功した。 その後、NE式は新聞社から始まり官公庁や大企業で専用回線を使用した写真電送に使用され、一般向けでは逓信省が1930年(昭和5年)に「写真電報」という名でサービスを開始した。昭和11年には甲乙丙丁の四種類があり、送れる用紙の大きさによって値段が異なった。普通の電報がカタカナ数字しか送れなかったのに対して写真電報は手書きの文字がそのまま送れたので漢字が使える利点が大きかった。 甲:8円、18×26センチ 乙:5円、18×13センチ 丙:3円、18×8センチ 丁:1円、18×8センチ、用紙サイズは丙と同じだが半分しか書けない 1936年に開催されたベルリンオリンピックではベルリン - 東京間に敷設された短波通信回線により電送された写真が新聞紙面を飾り、それまでの飛行機便による速報写真は役目を終えていった。 1937年(昭和12年)にNE式は携帯端末となり、日中戦争の報道に使用された。NECの無線技術は高く評価され、後に日本陸軍の無線・通信設備を独占した。 戦後は、逓信省による東京 - 大阪間の公衆模写電信業務、電電公社の電報、気象庁の天気図、国鉄(現JR)による連絡指示事項を全国の駅に一斉同報、警察の手配写真、新聞報道の写真や記事伝送などに利用された。
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