丹羽信英の見た武蔵百年忌墓前祭
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「兵法先師伝記」の記事における「丹羽信英の見た武蔵百年忌墓前祭」の解説
この中で、信英自身の体験が記されていて見落とすことのできない貴重な部分がある。それは最後に書かれている小倉の武蔵碑の前で行われた「武蔵の百年忌法要」の様子である。百年忌ならば延享元年(1744年)の5月19日である。『武州伝来記』著者の丹治峯均は74歳でまだ生きており、この翌年に亡くなっている。小倉と福岡は今では同じ福岡県だが、明治以前は豊前国と筑前国に別れていた。丹羽は親友の江角と福岡藩に届けず国法を破って忍んで参拝に行っている。旧暦5月は今の新暦では6月末になり、夏の暑い盛りである。山下に駕籠、乗馬を連ね、豊前小倉藩家老何代目かの宮本伊織父子をはじめ縁者多数参詣の様子、武蔵墓の前に勤経の僧26人とは大名並みの壮大な法要である。江戸中期の宮本家における先祖武蔵への尊崇の大きさ篤さを如実に表している。二人は請われて先師武蔵の墓前で兵法の形を奉納する栄誉に浴した。丹羽の感激が伝わってくる目撃体験記である。
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