丹羽保次郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 07:05 UTC 版)
丹羽 保次郎(にわ やすじろう、1893年(明治26年)4月1日 - 1975年(昭和50年)2月28日)は、NE式写真電送装置(ファクシミリ)を開発した技術者。東京電機大学初代学長。日本の十大発明家の一人として数えられることもある。工学博士。三重県松阪市名誉市民[1](第1号)[要出典]。
- ^ 阪本捷房「丹羽保次郎先生を悼む」『電氣學會雜誌』第95巻第6号、電気学会、1975年、501-502頁、doi:10.11526/ieejjournal1888.95.501、ISSN 0020-2878、NAID 130003619608。
- ^ 『朝日年鑑』1948年版、175頁、「公職追放者氏名」。
- ^ a b 『技術は人なり。: 丹羽保次郎の技術論』東京電機大学出版局、2007、p110
- ^ 『丹羽保次郎: 人と業績』p15
- ^ 『丹羽保次郎: 人と業績』丹羽記念会, 1978 p97
- ^ 漆間民夫『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- 1 丹羽保次郎とは
- 2 丹羽保次郎の概要
- 3 経歴
- 4 参考文献
丹羽保次郎と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 丹羽保次郎のページへのリンク