鳥潟右一とは? わかりやすく解説

とりがた‐ういち【鳥潟右一】

読み方:とりがたういち

[1883〜1923]通信工学者。秋田生まれ逓信技師日本無線電信電話技術世界的水準高め鉱石検波器などを完成


鳥潟右一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/20 04:03 UTC 版)

無線と実験』 第1巻第3号の表紙に使われた鳥潟右一の肖像
後列左端が鳥潟。隣が鯨井恒太郎、後列右端が北村政治郎。前列右から2人目が横山英太郎

鳥潟 右一(とりかた ういち[1][2][3]1883年4月25日 - 1923年6月6日[4])は、日本工学者。明治から大正期の通信工学の権威である。無線電話機の発明に成功し、逓信省電気試験所長をつとめた。工学博士

生涯

秋田県北秋田郡花岡村(現大館市)で酒造業を営む鳥潟平治の長男として生まれる[5]旧制第一高等学校を経て、1906年東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業。逓信省電気試験所に入所し、通信工学(特に無線通信)の研究に従事。当時、無線通信で主流であった「コヒラー検波器」は、通信距離が短いうえに安定しない問題があったが、1908年「タンタラム検波器」、1909年「鉱石検波器」を発明し、飛躍的に無線通信機の性能を向上させた。1912年横山英太郎、北村政治郎ともに、TYK無線電話機を発明し、実用無線電話の先端を切る。1915年工学博士[6]1917年無線通信の双方向通話に成功した。その後、1920年電気試験所長となり、電力線を利用した通信方法である電力線搬送通信等の研究開発を行った。数々の研究実績は、現代の通信技術の基礎となっている。1923年40歳の若さで他界した。なお、没日は同年6月5日という説もある。[7]

家族

栄典

位階
勲章

脚注

  1. ^ 秋田県立博物館ホームページ 秋田の先覚記念室 鳥潟右一
  2. ^ 大館市ホームページ 大館の偉大なる先人 鳥潟右一
  3. ^ 田中舘愛橘記念科学館 日本の科学者・技術者100人 鳥潟右一
  4. ^ 官報 第3257号(大正12年6月9日) 彙報 官庁事項 官吏卒去及死去
  5. ^ 秋田県が生んだ無線界の大先輩 鳥潟右一博士(鉱石検波器の発明者)
  6. ^ 官報 第945号(大正4年9月25日) 彙報 学事 学位記 鳥潟右一
  7. ^ https://www.jstage.jst.go.jp/article/hinai/18/0/18_17/_pdf/-char/ja
  8. ^ 鳥潟恒吉コトバンク
  9. ^ 漆間民夫『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
  10. ^ a b 『官報』第3255号「叙任及辞令」1923年6月7日。
  11. ^ 『官報』第3259号「叙任及辞令」1923年6月12日。

関連項目

  • 逓信総合博物館
    TYK無線電話器の実物が展示されている。
  • 大館市
    大館市立鳥潟会館には、生前の貴重な資料が展示されている。



鳥潟右一と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鳥潟右一」の関連用語

鳥潟右一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鳥潟右一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鳥潟右一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS