鳥潟隆三とは? わかりやすく解説

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鳥潟隆三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/26 10:09 UTC 版)

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鳥潟 隆三
人物情報
生誕 (1877-08-20) 1877年8月20日
日本北海道函館市
死没 1952年2月19日(1952-02-19)(74歳)
日本大阪府
出身校 京都帝国大学ベルン大学
学問
研究分野 医学(生理学)
研究機関 京都帝国大学
学位 医学博士
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鳥潟 隆三(とりかた りゅうぞう、1877年明治10年)8月20日 - 1952年昭和27年)2月19日)は日本生理学者医学博士

経歴

1877年、北海道函館市に生まれた。幼名は隆一。その後、6歳まで父・鳥潟精一の故郷秋田県大館市花岡で過ごした。鳥潟家は慶長年間のころから続く旧家で、花岡村の肝煎を代々務めてきた家であった[1][2]。大分中学校で学んだが、その後勉学のために母と共に東京に出て、開成中学旧制第一高等学校を経て[3]京都帝国大学医科大学に進んだ[4]。1904年、同大学医科大学を卒業。

卒業後は、同大学助教授に就任。1910年に医学博士となった。大阪府立大阪医学校(後の大阪大学医学部)の教員を経て、1912年から1917年までスイスベルン大学に留学。血清細菌学を研究テーマとした。1917年に免疫学上のインペジン説を提唱した。

帰国後に、大阪府大阪市に鳥潟免疫研究所と附属病院を設立。1922年、京都帝国大学教授となり、外科学第1講座を担当。学説に基づき「コクチゲン」(鳥潟軟膏)を発明し、また平圧開胸術を考案して肺結核外科手術を向上させた。学界では、日本外科学会会長をつとめた[5]。京都大学を定年退職後、名誉教授となった。1945年から1947年まで故郷の花岡に疎開して暮らしたが、1947年6月に脳溢血で倒れ、大阪に戻った[6][7]。1952年、大阪府でこの世を去った。

研究内容・業績

  • 1939年にコクチゲン創製の功績によりノーベル生理学・医学賞候補となったが、惜しくも受賞は逃した[8]。。
  • 著書にインペジン学説に関する3部(独文)がある。

家族・親族

  • 叔父:鳥潟恒吉(1855-1914年)。花岡生まれ。東大医学部二期卒業生。初代大分県立病院長を務め、大分県の医療の近代化、医師・看護婦の養成に貢献した。
  • 叔母:鳥潟サイ(1862-1943年)は恒吉の妻。
  • 娘:鳥潟静子。1932年におこった結婚解消騒動で知られる。静子は隆三の弟子と結婚したが、初夜に夫の性病を知り、そのまま実家に戻り、隆三は結婚解消を関係周囲に通知、これによって対立した両家がそれぞれ新聞に弁明を発表し、その是非を巡って文壇を巻き込む一大騒動に発展した[9](静子はのちに医師の革島貞吉と結婚した[10])。
  • 従妹:鳥潟右一(1883-1923年)は工学者。鉱石検波器、TKY式無線電話機の発明者。

著書

  • 『鳥潟外科学総論』南江堂 1934
  • 『鳥潟外科学教室論著抄録集』第1-2部 鳥潟博士還暦祝賀記念会編. 日本外科宝函編輯室 1941
  • 『免疫元及び免疫方法』鳥潟博士還暦祝賀記念会, 1944
  • 『外科学臨床講義』鬼東惇哉編 南江堂 1944
  • 『免疫概論』日本医書出版 1947
  • 『鳥潟外科学総論 訂7版』荒木千里訂 南江堂京都支店 1951

脚注

  1. ^ 建造物が秋田県指定有形文化財に、庭園が秋田県指定名勝(記念物)に指定され、鳥潟会館として公開されている
  2. ^ 鳥潟会館
  3. ^ [1]
  4. ^ 狩野亨吉のすすめで京都帝国大学医科大学を選んだという。
  5. ^ のちに日本外科学会名誉会長。
  6. ^ 鳥潟隆三先生が亡くなられる迄
  7. ^ 大館市役所
  8. ^ Nomination Database
  9. ^ ノーベル賞候補の娘が「初夜」から逃げ出し“結婚解消”――「鳥潟静子の結婚解消騒動」とは?小池 新、文春オンライン、 2019/11/28
  10. ^ 鳥潟隆三『人事興信録. 第12版下』1940年



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