無線電話発祥記念碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 05:41 UTC 版)
「日和山 (鳥羽市)」の記事における「無線電話発祥記念碑」の解説
日本における電話の発祥は、1890年(明治23年)のことであるが、三重県で電話交換が始まったのは10年後の1900年(明治33年)であった。電話が鳥羽で開通するのは更に遅れて1910年(明治43年)のことである。電話の開通は遅かった鳥羽であるが、無線電話は世界で初めて実用化され、日和山に「無線電話発祥記念碑」が建てられている。 伊勢湾口に位置する神島へは、湾奥の名古屋港や四日市港に入る船舶の正確な入港時間を把握するために伊良湖水道を通過したという情報を送信する海底電信施設の建設が逓信省に申請された。同じ頃、同省電気試験所(産業技術総合研究所の前身)では鳥潟右一・横山英太郎・北村政治郎がTYK式無線電話を1912年(明治45年)3月に考案し、実用化に向けた研究が進められていた。更に、答志島でも海底電信の建設計画が出されていたものの実現は難しい状況だった。 そこで、海底電信施設よりも低コストのTYK式無線電話をここで実用化するよう逓信省に再申請がなされた。こうして1914年(大正3年)11月7日にTYK式無線電話鳥羽局が開局、12月16日から鳥羽〜答志〜神島間で試験が開始された。試験に必要な経費はすべて地元負担という条件で許可されたため、神島駐在(神島灯台官舎)は愛知県、鳥羽駐在(日和山の鳥羽導灯官舎)は三重県、答志島駐在(村役場)は答志村が設備費から職員の給料まで支払った。試験運用方法は、神島灯台を通過する船舶が手旗信号で船名・行き先を送り、神島灯台から無線電話で船名・行き先・通過時刻を鳥羽導灯へ送信、鳥羽導灯が鳥羽郵便局へ有線電話で連絡、鳥羽郵便局が電報で名古屋・四日市の商業会議所や船会社に通知する、というものだった。試験結果は良好であったため、1916年(大正5年)4月1日より逓信省直轄事業に移行した。この無線電話実用化は入港時間の把握と、答志の漁獲物取引に役立った。 1956年(昭和31年)11月30日に鳥羽〜答志電話線が新設されたのに伴い、無線電話は廃止となり、1961年(昭和36年)12月5日に日和山で無線電話発祥記念碑の除幕式が挙行された。 2014年(平成26年)12月21日 - 22日に世界初の無線電話運用開始100周年を記念してTYK無線電話開通100周年記念展示会が鳥羽市立図書館において開催された。この展示会で当時の無線電話に関する資料と共にTYK無線機(レプリカ)が展示された。収集された展示資料は東海無線会・無線史研究会によって取り纏められ「世界初の無線電話(鳥羽~答志島・神島間TYK無線方式)運用開始100周年記念誌」として発刊された。
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