世紀の大失速とは? わかりやすく解説

世紀の大失速

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:10 UTC 版)

1964年のメジャーリーグベースボール」の記事における「世紀の大失速」の解説

フィラデルフィア・フィリーズは、9月20日時点150試合消化して9060敗、勝率.600で残り12試合2位レッズカージナルス6.5ゲーム差をつけていた。ところがこの最終盤でまずレッズに3連敗次にブレーブスとの4連戦に4連敗、続くカージナルスとの3連戦全て落とし10連敗喫した。ここでカージナルストップとなり、最後レッズ戦は2連勝して盛り返したが時すでに遅く逆転優勝許してしまった。フィリーズこの年大半リーグ首位確保して一時2位10ゲーム差をつけていた。このシーズン前タイガースからジム・バニング投手トレード獲得してバニング若手左腕クリス・ショートがエースとして投手陣牽引し、ほかにアート・マハフィー、デニス・ベネット、レイ・カルブが揃ってリーグでも最も層が厚い投手陣であった守備には強力な二遊間コンビがいてルーベン・アマロ遊撃手トニー・テイラー二塁手揃い三塁にはこの年新人王獲得したディック・アレン並び鉄壁内野と言われ打ってはジョニー・キャリソン右翼手主軸でさらに8月初めにメッツから巨漢一塁手フランク・トーマス獲得して打線強化した。ところが、9月8日フランク・トーマス親指骨折してベンチ離れ投手のアート・マハフィーが乱調以後監督信頼無くなり、さらにほぼ同じ頃にレイ・カルブが肘を故障しデニス・ベネットは肩を痛めあれほどいように見えた投手陣の層が急に薄くなった。9月20日ロサンゼルスでの対ドジャース戦でジム・バニング18勝目挙げて残り12試合本拠地フィラデルフィア戻った時に7連戦予定されていたので地元1950年以来14年ぶりの優勝ムード沸いてワールドシリーズ前売り券準備入っていた。ただ試合日程休みなしで毎日あり、投手ローテーション難しくなっていた。 その本拠地での最初試合にジーン・モーク監督は不安のあるアート・マハフィーを9日ぶりに先発出場させたが0-1敗れた相手1点本盗での1点であったワールドシリーズ前売り券発売開始され次の22日左腕クリス・ショートが乱打されて連敗しゲーム差4.5になった。翌23日デニス・ベネットが肩の痛みをおして登板した4-6で3連敗して3.5ゲーム差。翌24日エースバニングが中3日登板した3-5で4連敗して2.5ゲーム差次の25日左腕クリス・ショートが中2日で登板して5連敗して1.5ゲーム差。翌26日土曜日ナイターでアート・マハフィーが中4日投げたが6連敗し、とうとう0.5ゲーム差となった次の日曜日(9月27日)にはフィリーズに十分休養をとった投手はおらずバニング志願して中2日で登板したブレーブス滅多打ちされて8-14で7連敗しレッズ91勝目挙げて首位立った2位フィリーズ90勝、3位カージナルス89勝。フィリーズ地元フィラデルフィアでの7連戦で1勝も出来なかった。次の日に休みなしでセントルイス飛んでカージナルスとの試合臨んだカージナルスにとって急に優勝可能性出てきてムード良かった9月28日左腕クリス・ショートが中2日で登板し相手カージナルスは中3日ボブ・ギブソン出てきて、もはやフィリーズ打者元気な1-5で8連敗し一方カージナルスは6連勝次の29日にはジーン・モーク監督重症腱炎乱調デニス・ベネット登板させた。もはや先発させる投手がいなかったのだが、相手カージナルスブルペンにいたカート・シモンズはこのベネットマウンド見てすぐに異変感じ、肩を壊したベネット起用するのは狂気の沙汰だと思ったベネットは2回ももたず降板し9連敗カージナルスは7連勝しレッズ敗れたため首位並んだ9月30日ジム・バニング中2日で登板しカート・シモンズと投げ合った5-8敗れて10連敗カージナルスは8連勝91勝となりレッズ連敗したため、この日にシーズン初め単独首位立った。 そして残るカードカージナルス最下位メッツで、フィリーズ首位争いしているレッズであった。しかし10月2日フィリーズが対レッズ戦に左腕クリス・ショートを中3日登板させて相手エラーから逆転して4-391勝目となり、同じ日にカージナルスは対メッツ戦に必勝でエースボブ・ギブソンを登板させながら1-0敗れ波乱があり、しかも翌3日に同じメッツ連敗してしまい、最終10月4日レッズフィリーズカージナルスメッツカード組まれていたが、もしレッズカージナルス敗れると、フィリーズ入って3球団92勝で並び3球団による史上初のプレーオフ可能性があり、ナショナルリーグ事務局は3チームによる複雑なプレーオフ日程作り入った。そして最終日フィリーズジム・バニングが中3日登板しレッズ10-0下し92勝目挙げカージナルスメッツ11-5破り最終戦93勝に達しリーグ優勝飾った2位フィリーズレッズ92勝で0.5ゲーム差であった。 もしフィリーズ10連敗のうち1勝でも勝っていたら、この時に38歳で若いジーン・モーク監督最初から捨て負け試合をしてバニングショート休養十分に取らせていたらという議論その後続き9月30日間1日休み無かった試合日程原因一つとされたが、バニングショート中2日で先発させたジーン・モーク監督采配批判されモークは「負けたのは君たちのせいではない。私の責任だ。」とすべてが終わってから自らの非を認めた30年後にジャーナリストデイヴィッド・ハルバースタム著書『さらばヤンキース運命ワールドシリーズ~』 (原題 OCTOBER 1964)の中で、このフィリーズ失速詳細に書いているが、当時エース30年後に連邦下院議員となったジム・バニングインタビューした時にバニングは『後から考えれば休養取って登板すべきだっただろう。今なら誰が考えてそうだろう。しかしあの時感情は、よし2日しか休んでなかっても出ていって投げてやろう、と思って当然なんだ。』と語り、この時の2週間起きたことを理解するのはその場居合わせて優勝争いの中で気持ち高ぶり様々な感情に浸らなければ理だとして、高いレベル運動選手思考様式、すなわちこの状況勝てるのは自らの強い意志の力だけだという信念理解しなければならない述べている。 この年終盤フィリーズ混乱は世紀の大失速としてメジャーリーグ歴史長く記憶されている。

※この「世紀の大失速」の解説は、「1964年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
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