世紀の難工事・飛驒トンネルとは? わかりやすく解説

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世紀の難工事・飛驒トンネル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:30 UTC 版)

東海北陸自動車道」の記事における「世紀の難工事・飛驒トンネル」の解説

飛驒清見IC - 白川郷ICの24.9 km最後開通区間となった。この区間では1996年平成8年10月より籾糠山直下を貫く飛驒トンネル飛島建設施工着工された。当初2005年平成17年)の愛知万博前の開通目指したが、1,000 mもの土かぶり地質調査十分にできなかった事もあって1998年平成10年6月には先進坑予想外軟弱地盤に当たり、順調ならTBMで月に200300 m進めると見込まれ進捗は、NATM工法切り替えた事もあり2002年平成14年)頃には月30 mという有様であった本坑では同年8月よりNATM工法着工したが、3 km進むのに5年もの歳月要した軟弱地盤抜けると今度硬い地盤悩まされ先進坑では最大毎分13トン排水管坑口部分では70トン)もの大量湧水対策として水抜きボーリングを、世界最大級のTBM投入された本抗では強固な地盤で1 m毎に刃の交換強いられた高圧粘土層においてTBM掘進不能にTBMは止む無く解体された。坑口に“臥薪嘗胆”の掲げ工事24時間突貫続けられた。こうした中、2003年平成15年7月から8月にかけて森喜朗元首相小泉純一郎首相相次いで現地視察訪れている。現職総理大臣高速道路施工現場駆け付けるのは初めての事であった2006年平成18年3月先進坑が、翌2007年平成19年1月には本坑貫通貫通当時日本国内2番目、世界でも8番目に長い道トンネルであった。これを受けて全線開通時期当初2008年平成20年3月末と予定したが、飛驒トンネル貫通付近での地山崩落や「盤膨れ」と呼ばれる壁面膨張などが発生したため開通時期を同年7月頃に延期その後の正式発表経て7月5日15時NEXCO中日本飛驒清見IC - 白川郷IC24.9 km開通させ、この日を以って1972年昭和47年)より工事着手した東海北陸自動車道36年歳月経て全線開通となった最後開通区間事業費1860億円(うち飛驒トンネル当初予定の約4割増となる980億円)で、全線での総事業費1兆2190億円であった

※この「世紀の難工事・飛驒トンネル」の解説は、「東海北陸自動車道」の解説の一部です。
「世紀の難工事・飛驒トンネル」を含む「東海北陸自動車道」の記事については、「東海北陸自動車道」の概要を参照ください。

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