世紀の難工事・飛驒トンネル
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「東海北陸自動車道」の記事における「世紀の難工事・飛驒トンネル」の解説
飛驒清見IC - 白川郷ICの24.9 kmは最後の開通区間となった。この区間では1996年(平成8年)10月より籾糠山直下を貫く飛驒トンネルが飛島建設の施工で着工された。当初は2005年(平成17年)の愛知万博前の開通を目指したが、1,000 mもの土かぶりで地質調査が十分にできなかった事もあって1998年(平成10年)6月には先進坑が予想外の軟弱地盤に当たり、順調ならTBMで月に200–300 m進めると見込まれた進捗は、NATM工法に切り替えた事もあり2002年(平成14年)頃には月30 mという有様であった。本坑では同年8月よりNATM工法で着工したが、3 km進むのに5年もの歳月を要した。 軟弱地盤を抜けると今度は硬い地盤に悩まされ、先進坑では最大で毎分13トン(排水管の坑口部分では70トン)もの大量湧水対策として水抜きボーリングを、世界最大級のTBMが投入された本抗では強固な地盤で1 m毎に刃の交換を強いられた。高圧粘土層においてTBMが掘進不能に。TBMは止む無く解体された。坑口に“臥薪嘗胆”の札を掲げ、工事は24時間の突貫で続けられた。こうした中、2003年(平成15年)7月から8月にかけて森喜朗元首相と小泉純一郎首相が相次いで現地に視察に訪れている。現職の総理大臣が高速道路の施工現場に駆け付けるのは初めての事であった。 2006年(平成18年)3月に先進坑が、翌2007年(平成19年)1月には本坑が貫通。貫通当時は日本国内で2番目、世界でも8番目に長い道路トンネルであった。これを受けて全線開通の時期を当初2008年(平成20年)3月末と予定したが、飛驒トンネル貫通点付近での地山の崩落や「盤膨れ」と呼ばれる壁面の膨張などが発生したため開通時期を同年7月頃に延期、その後の正式発表を経て7月5日15時にNEXCO中日本は飛驒清見IC - 白川郷IC24.9 kmを開通させ、この日を以って、1972年(昭和47年)より工事着手した東海北陸自動車道は36年の歳月を経て全線開通となった。最後の開通区間の事業費は1860億円(うち飛驒トンネルは当初予定の約4割増となる980億円)で、全線での総事業費は1兆2190億円であった。
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