ロマン主義・マルクス主義・ナチズムの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:25 UTC 版)
「自殺攻撃」の記事における「ロマン主義・マルクス主義・ナチズムの影響」の解説
文化人類学者の大貫・ティアニー・恵美子によると、「破壊の灰の中から立ち上がるフェニックス」という隠喩は、佐々木など当時の若い知識人が、しばしば用いていた。フェニックスの表現は「人類愛に溢れ、個人主義を利己主義へと変えてしまった資本主義から解き放たれた、新しい日本」を指すのに用いられていた。佐々木は この重大な時が旧資本主義体制にしがみつく老いぼれ連中や盲目的、非理性的な軍人や、ましてその傀儡たる井中の鳴蛙的技術者によって乗り切れるものではない。 とも述べている。 神話・哲学・文学などにおける「破壊の後の復活」は、「第三帝国」の興隆に向いたイメージだった。ナチズム(国家社会主義)の中でヒトラーやゲッベルスは、権力掌握のためにこのイメージを多用している。それはドイツの破壊と再生、すなわち第三帝国(ナチス・ドイツ)の誕生だった。戦禍がナチスドイツに押し寄せてくると、ゲッベルスは国民に「最終的な勝利」を信じさせるため、演説で「破壊の後の奇跡的な復活」を修辞として使っている。最期の日々にゲッベルスは、自国の再生および階級差のない新ヨーロッパの誕生のための「衛生的な破壊」として、ベルリン爆撃を歓迎した。 日本の宗教には「鯰絵」のような、天災(地震)からの世直しという民間伝承はあったが、ドイツロマン主義やナチズムのような「復活の前提としての暴力的な死」という概念とは、馴染みがない。しかし日本ロマン派(日本浪漫派)は、この伝承と無関係な「テーゼ」を重視した。特攻隊員の日記にはこのテーゼや、「フェニックス」の象徴が繰り返し出てきており、佐々木はその一例となっている。また、特攻隊員ではない林尹夫のような学徒兵にも、同様の傾向が見られる。「熱心なマルクス主義者」を自称していた林尹夫は、詩で「フィナーレ、タブー、崩壊」を切望しており、「カオス」「破壊」「再生」という表現も多用していた。林は、日本に「新たな生命」を吹き込む「破壊」を望んでおり、例えば『日本帝国終末』という詩を記した。 没落と崩壊 デカダンス亡び残るものなにもなしすべての終末……すべては 崩壊する日本に終末がくるあの タブー カタストローフよ 彼はまた、「絶望」についての論考の中で自らを「唯心論者」と記し、ドイツ語混じりで次のように記した。 我々は、暗黒の前にたじろがぬ。 … しかもあらゆるDunkelheit〔暗黒〕をのぞこうとする。そこに我々のMaterialismus〔唯物論〕があるのだ。それが真のリアルな生き方であるとおれは信ずる。 読書はこうした学徒兵たちの生活の最重要部分にあった。主だった四人である佐々木、林尹夫、中尾、和田の読んだ文献は、確認できるものだけからリスト化しても1355冊ある(なお、キリスト教徒の特攻隊員だった林市造の読書はリストに無いが、彼は日記や家族への手紙で、聖書やキルケゴールの『死に至る病』について頻繁に言及している)。リストには洋楽や映画もある。洋楽が大きな影響を与えている反面、隊員たちは日本の「伝統音楽」には言及していない。一方、隊員たちが言及した映画、特にドイツの戦争宣伝映画は、日本に浸透していた。 特攻隊員は、明治以降の日本人の歴史的体験である「近代」(西洋)から影響されると同時に、それを超越しようという動きを体現していた。彼らの体験は、19世紀~20世紀ヨーロッパの知識人のそれに酷似していた。そうした体験の大部分は、ドイツ・フランス・ロシアで一世を風靡し、日本にも到達したロマン主義だった。世界各地でロマン主義は、マルクス主義と同様に、「資本主義や物質主義に対抗する運動」という意味を持っていた。このため、「マルクスやレーニンはロマン主義の中の少なくともいくつかの要素を重視していた」とされる。様々な形態のロマン主義は各社会で、「近代の超克」の一部を担うと同時に、国民国家間の武力衝突の脅威に立ち向かっていった。
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