ロマン主義時代における懐疑論
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「動物磁気説」の記事における「ロマン主義時代における懐疑論」の解説
動物磁気の研究の隆興によってフランスでは調和学会(la Société de l'harmonie)が設立され、その技術を学びたい者は会費を払って入会した。例えば、パリの哲学的調和学会の会員であったジョン・ベル博士は、同学会からイギリスでの動物磁気の講義や指導を行う資格を与えられていた。このような学会の存在は動物磁気を秘伝の技術に変え、実践者や講師は金銭的な利益に基づいて技術の教授がなされるべきであり、無料で他者にその技術を公開することは不公平である、というような考えに侵食されていった。こうした秘密主義の強まりは、動物磁気に対する懐疑的な見方をもたらしたが、その支持者や実践者は誰もが簡単に技術を取得することができるとアピールしていた。 動物磁気の普及は、ロマン主義時代の新聞雑誌や劇場で非難されて嘲笑の的であった。演劇的な狂言やペテンであるとみなされていた。ある1790年の出版物には、編集者が動物磁気の熱心な支持者が書いた一連の手紙を紹介した上で、次のような自分の見解を付記した。「狂信者がこれほど荒唐無稽な考えを漏らしたことはない。マグネタイザーの連中よりも、これほど馬鹿げた受け売りの保証や現実離れした治療法の歴史を語る厚かましい経験主義者はいない」。 イギリスの小説家であり劇作家でもあったエリザベス・インチボルド(英語版)は1780年代後半にその名も「動物磁気」という名の滑稽芝居を書いた。複数の三角関係と動物磁気の不条理を中心に展開されている筋書であった。次の一節は、動物磁気の資格しかない者の医療能力を嘲笑している。 医師:彼らは私に卒業証書を与えることを拒否した―― つまり私がただ些細な言葉を知らないというだけで、医者として活動することを禁じたわけだ。だけどな、私は理性と自然の法則に従って自分の職業をまっとうしているのだよ。死は当たり前のことではないか。もし私の患者が私の手で何十人と亡くなったところで、それは自然なことではないのか? — Inchbald, Elizabeth. Animal Magnetism. p. 9 動物磁気による治療だけではなく、磁気を使って患者に自分への恋愛感情を抱かせようとする医者の執着をインチボルドはユーモラスで軽快な物語に仕立て上げたが、この劇はこうした行為が脅威であることを社会が認識していることに言及していたことを示している。 デ・マイナンデュック(De Mainanduc)は、1787年に動物磁気をイギリスに持ち込み、社会的に広めた。1785年には、イギリスの女性たち向けに「健康学会」の設立を提案し、これによって金銭を支払って彼の治療に参加し、楽しむことになった。人気と懐疑の両方が高まるにつれ、動物磁気が女性の性的搾取に繋がると確信する人が増えていった。動物磁気は身体に手を触れるという密接で個人的な接触を伴うという話だけではなく、動物磁気師が女性に催眠術をかけ、自由にコントロールできるのではないかと心配されていた。 教会ではメスメリズムを一部認める布告もしていた。 すべての誤解や未来の予言に関するもの、あるいは、明示的ないし暗示的に悪魔を召喚するようなものを除外した上で、動物磁気の利用は、実際のところ他の方法では許可されている物理的な行為に過ぎず、したがって不正な目的や堕落に向かうものでない限り、道徳的に禁止されるようなものではないのである。 — The Sacred Congregation of the Holy Office: 28 July 1847.
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