リヴァプール伯爵内閣の外務大臣としてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > リヴァプール伯爵内閣の外務大臣としての意味・解説 

リヴァプール伯爵内閣の外務大臣として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 01:59 UTC 版)

ジョージ・カニング」の記事における「リヴァプール伯爵内閣の外務大臣として」の解説

ロンドンデリー侯爵自殺受けて首相リヴァプール伯爵求めにより、外務大臣庶民院院内総務就任することになった在任1822年9月 - 1827年4月)。在イギリスロシア大使夫人カニング敵対していたダリヤ・リーヴェン1822年秋に野党は彼を嫌い、国王は彼を嫌がり大臣たちは彼を信用しなかった。彼の追従者海洋一滴にすぎず、それを除けば彼を尊敬するイギリス人存在しない。これらの多く理由にもかかわらず世論彼の就任要求した。」と評したという。 カニング前任者たちはウィーン体制支持したが、カニングウィーン体制支えた盟約である神聖同盟ロシア帝国オーストリア帝国プロイセン王国)とは一線を画し外交政策行った例えば、就任直後五国同盟の間で行われたヴェローナ会議英語版)ではスペイン立憲革命への介入討議されフランスなど諸国介入賛成したが、カニングイギリス代表ウェリントン公爵イギリス不干渉宣言するよう命じた。ほかにもロシアレヴァント進出阻止する意図ギリシャ独立支援し具体的な施策としてはギリシャ国際法における交戦国belligerent)として承認した)、またラテンアメリカ起こっていたスペインからの独立運動を、自国市場拡大もくろんで支持する立場をとったことでも知られ1823年10月には在イギリスフランス大使ジュール・ド・ポリニャックスペイン政府による米州植民地奪回への(フランスからの)援助禁じ覚書署名させた。同年12月モンロー教書米国先手打たれたが、カニングはこれを利用した上でポリニャックとの覚書公開してラテンアメリカ独立運動に関するヨーロッパで外交会議開催阻止した。そして、1824年12月31日にはリオ・デ・ラ・プラタ連合州(現アルゼンチン)、第1次メキシコ合衆国グラン・コロンビア独立承認ジョージ4世から引き出した。これらは以降イギリス政府の「自由貿易帝国主義」の基礎となった。ただし、同盟国との政策違いにより同盟国の在イギリス大使敵対するようになり、またオーストリアクレメンス・フォン・メッテルニヒカニング追い落とし動いたとされる国内では、蔵相フレデリック・ロビンソン商務庁長官ウィリアム・ハスキソン内相ロバート・ピールとともにリベラル派として行動した。彼らの活動と「反動派シドマス子爵アディントン1805年叙爵)の引退重なってリヴァプール伯爵内閣反動的性質改めて「自由トーリー時代」と呼ばれる改革路線舵を切るようになった。 しかしカニングリベラル派閣僚保守的な閣僚ウェリントン公爵エルドン伯爵英語版)(エルドン男爵1821年叙爵)らと対立深めていった。とりわけカトリック解放問題閣内分裂深刻化した。これは17世紀以来イングランド国教会信徒にしか公務就任認められていない現状に対してカトリック公務就任認めるべきか否かという問題であったが、この問題ではカニングとハスキソンがカトリック解放支持する一方ピールカトリック解放強く反対していた。先王ジョージ3世もこれには頑なに反対しており、ふだんは仲のよくなかった息子ジョージ4世カトリック解放については同意であった首相リヴァプール伯爵一貫して閣内融和努めカニングピールリヴァプール伯爵内閣存続させることでは一致していたものの、1827年2月リヴァプール伯爵脳卒中倒れたことで情勢変化した大臣任免取り戻したジョージ4世カニングピールウェリントン公爵の3人と個別会談したカニングピールはともに相手内閣閣僚になることを拒否したため、国王ジョージ4世としてはどちらかを切らねばならなかった。国王カニングピールともに嫌っていたが、最終的にカニング組閣の大命与え決断下した

※この「リヴァプール伯爵内閣の外務大臣として」の解説は、「ジョージ・カニング」の解説の一部です。
「リヴァプール伯爵内閣の外務大臣として」を含む「ジョージ・カニング」の記事については、「ジョージ・カニング」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「リヴァプール伯爵内閣の外務大臣として」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リヴァプール伯爵内閣の外務大臣として」の関連用語

リヴァプール伯爵内閣の外務大臣としてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リヴァプール伯爵内閣の外務大臣としてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジョージ・カニング (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS